同人誌の「上手さ」と「面白さ」の関係
新着レス 2005/06/10(金) 23:21
時々、プロ並かそれ以上に絵や文章が上手い人っているでしょう。
私は一応文字書きなので小説本の方により目が行ってしまいますが、
私のジャンルでも、文章だけを見ると、プロと較べても何ら遜色のない
人達が何人かいます。
ところが不思議なことに、文章が“そこそこ上手い人”っていうのは、話も
すごく面白い人達が多いのですが、“物凄く文章の上手い人”って、どう
いうわけかキャラもストーリーも、何故かとにかくイマイチ面白くないのです。
何故だろう。こういうこと感じてる人って、他ジャンルにもいるんでしょうか
私のいるジャンルでもすごく文章が上手い人が数人いるけど
…話、構成とかしっかりしてるんですよ?ただ、なんかこう
萌えるものが無いというか…。
綺麗にまとまりすぎてる感じがします。
文章上手かろうと、それで構成やキャラ設定のバランスが崩れてしまうとつまらなくなる。
(当然、その反対もよくある)
あと7さんのいう、綺麗にまとまりすぎているというのと似ているかもしれないけど、
格が違う、ってのを感じると判断基準がクラスアップして、
谷崎・川端(ファンなだけなので、他意はない)辺りと比較しちゃうなあ、私は。
う〜ん、“物凄く上手い”と“そこそこ上手い”の差を、この小さなスペースで
上手く説明できないのだけれど、物凄く上手い人っていうのは、まあいってみれば、
場面の展開が極めて鮮やかに自然で、まず無理やわざとらしさがない。
地の文に、書き手本人の、微妙な“口語文章体”がない(←ここんところが、
ちょっとは文章力落ちるかな、て人の文章には、地の文の中に、“書き手自身”
が現れてしまっている)。ああもう。上手く言えないな。とにかく、読み手が
ふっと醒めて我に返るような文や言葉が無いんですよ。文章の物凄く上手い人
には。
だけど! 文章がそこまで上手いのに、キャラやストーリーそのものが、
どこもかしこも無難にまとまってて。“文章そこそこ”の人は、ストーリーも
そこそこの人も多いんだけど、のめり込むほど面白い話書くのは、この辺り
の方たち。
商業作品だって、完璧な出来のものが萌えるものとは限らないじゃん。
そういうことだと思ってるけど、違うの?
同人誌まるまる一冊、本としての面白さと
漫画や小説、ひとつの作品としての面白さと別かもな〜と思う。
そこの本は好きだけど商業誌で描いてるのを読んでも面白くない
ってことあるよーな。
「枠」を与えられた方が上手い人っているよね。
綺麗な絵を描く人の本は、画集だと思って鑑賞します。
運良くちょっと良い話だった時には、当たりってことで得した気分になる。
良い話を読みたい時は、絵の拙さに気付かない振りをして読みます。
本当に「いい話し」だなと思う本って結構、絵柄的に自分には
合わなかったり(こういうと何ですが)自分よりも拙かったり
って事が多いです。そしてそういう本に出会うと、自分もがんばろうと
思います。
絵が上手くて売れているところってどうしても「いいこちゃん」
でラブラブで甘いだけとか、毒にも薬にもならない内容が多い気がする
んですよね。
読者層が幅広いと、どうしても安全圏に行ってしまうんでしょうか・・・。
絵がうまくても、構成がわるかったり、コマ割りがいまいちだったりして
面白くないもの、ありますよね。
逆に、絵はそこそこでも、コマ割りやキャラの見せ方などがすごくよくて
面白いと感じるものもあります。
(後者の場合は、読み終わってから、実はあんまり絵がうまくはない
とゆうことに気づくことが私は多いです)
いかに「見せる」かで面白さもだいぶかわるってことですよね。
うまくて面白いのを書く人はいる。そんで、いまひとつ物足りない人もあって
そのときに、引き算がなされる(=うまいけど面白くないOR面白いけどうまくない)
マンガも小説も全体としてのバランスを考えると、全部が表の一張羅だと
なんだかつまらないわけで、どこか裏のほつれがあったほうが表の美しさがひきたつ。
ということかなあ?
逆もいるよ。オリジナルはおもしろいのに、パロやると「許せん!」って
もの書く人。私も字書きなんだけど、小説にも漫画にもそういう人いる。
オリジナルとパロは、見せ方が違うんだと思う。
だから、商業誌の仕事してる人のパロ作品はいちおう警戒する。
逆に、パロがすごいハマリな人の商業作品も警戒する。
どっちも上手い人もいないわけじゃないけどね。まれにだけど。
連載開始は拙い絵なんだけど、結構おもしろくって読んでて、
でも何年もそれが続くと当然絵がすごい上手になってきて
その変わりに勢いがどことなく失われたような気になる
作品が(とくに少年漫画系で)多い気がする。
今でも確かにおもしろんだけど、なにか、足りないなあって。
(漫画板へいけと言われそうなのでここまで。とりあえず
龍狼伝や孔雀王が私にとってそんな感じです。ベルセルクは
上手くなった今でも勢いあるかな…)
>39 まれかなあ。パロですごくいいもの描ける人って
オリジナルも上手いって公式ある程度なりたってる気もするんだけど…
あ、逆か。オリジナルがしっかり描ける人はパロでもいいもの描くと。
オリジがちゃんと描ける人はたいてい何描いても上手いよね。
どんなに好きでも
綺麗+そこに何か物語性のあるような絵ならイラストだけでも
いろいろ感想も持てると思うけど
わりと同人誌の綺麗な絵をかくひとって、顔とかバストアップの
モデルイラストが多いよね
上手い絵描きは漫画は適当に手を抜くってきいたぞ
手を抜くって言うと悪い感じだけど
人物デッサンさせるとすげえ実写的にできるけど
それをまんま漫画にもってきても変だから上手くどこかでデフォルメして
それに漫画って1Pにいくつもコマが入ってっから
全部のコマに気合い入りすぎてっと読むほうも疲れるから
上手いこと「手を抜く」んだと
の画力を出して漫画を描くのではない、ということでは
ないのかしら?
>47 実際、全部に力100%出し切って絵を描いてたら
漫画なんて描き終わらないんですよ。
と、言う当方は漫画描きですが。
最近の同人誌読んでいてよく思う…「この本は絵を描くために
マンガを描いてるのだろうか?それともストーリーを描くために
マンガを描いているのだろうか」
前者が多くなっているような気がします。
どっちが良し悪しの問題ではなくて。
コママンガに求められる「記号としての絵」と、
見開きとかに求められる「インパクトを与える一枚絵」では、
根本的なものが違う、ってことじゃねえの?
この頃思うのは…『漫画なんだから、面白い話を読ませて欲しい』って事。
コマ割りスレッドにあった話題と照らし合わせると
見せるコマとそうでないコマのメリハリの問題か。
全部見せゴマだとうざくなって、イラストとは違ってストーリーって要素がある
漫画にとって大事な「テンポ」が失われるって事。だよな?
つうか、全コマ全ページ力入れまくるんじゃなくて
部分的にリラックスするようなコマも必要なんじゃねえかなってことだと思う
だからかえって、「ここは見せ場だぜ!」つーページなりコマなりが
ひきたつんじゃねえかな、上手い絵描き屋ってのは
全コマ全ページクライマックスじゃ、疲れちまわないかな?
映画のように、漫画にも見せ場が必要ってことなんだね。
マンガに限らずそうだと思っているんだけど、
すべてのシーンにおいて100%力を込めると、
受け手に圧迫感を与えてしまうではないか?
リズムつけダイナミズムを生むためには、手を抜く部分が必要だと思う。
どこが見せ場で、なにが言いたいのか!
それをまず決めて、それのために全体を作るべきだと思う。
もちろん、すべて計算して手を抜く人もいる。
それができるのは、職人なんじゃないかな?
「このコマだけはっ!」という部分をネームの段階で
はっきりさせておくことが大切だね。
演出という部分に関わってくるでありましょうか。
確かに絵の方は少々未熟でも、
ストーリや見せ方、コマ割りが上手い人って尊敬するんですが
実はすげえ頭使うことだと思わないか??
絵は無論、上手いに越した事はないとして
コマ割り構成、見せ場の計算、ストーリーに破綻が
無いかとか、
脚本家と総監督と芸術監督の能力がいっぺんに求められる
ような気がするよ。うひ〜。
漫画描きには演出力。
イラスト描きには画力。
だが悲しいかな同人の多くは(女男に限らんと思う)
大コマ、顔アップ、良くて腰上、心情はすべてモノローグ
基本となるストーリーは捻りなし
ただとりあえず、絵には華がある、キャラの顔ならそこそこ上手い
あと表紙フルカラーの綺麗さ(つまりイラストが上手いってことか)
こういうのが、上手い=売れる本、って感じかな?
そうだね〜。
「爆発的に売れ」を狙うなら、華のある絵とかそういうセンスを
磨けってことなのかな。
個人的な体験だけど「よっしゃ!漫画描こう!」ってなって
初めて挑戦した時、自分は脳の病気じゃないかとさえ疑った。
なぜなら思うようにコマが割れなかったから。
それこそコマ割りなんて全体の作業の内、5%程度の労力だと
思ってたから、すごいカルチャーショックだった。
他の人達はみんな何の準備もなくても、白紙原稿を前にした瞬間
流れるようにスイスイ余裕でコマ割って
ストーリーが描けるもんだと思ってたから
自分は異常なんだってしばらく悩んだぞ。マジで。(笑)
コマ割りは誰もがぶつかる壁だと思いますよ。
漫画描いてる人のどれ位がネームを切っているんだろう?
展開がやけにいきあたりばったりだったり
同じ構図、同じコマ割り、同じ表情が続いたり、
短編なのに最初と最後で内容が全く変わってしまったり
余りにも説明不足だったり説明過多だったり。
そういうのが多いの多くないのって。
ギャグ本と詠うからにはあらかじめネタ出しして吟味をする。
見開きで読者の視線の動きを考えテンポを整える。
捨てゴマの配置、大ゴマの配置、過不足のない台詞量等々。
ネーム段階で煮詰めればかなりの割合で
レベルアップできるはずなのに。
ネームの切り方、やり方2通りあって、皆どちらかの方法で描いているのではないか、
ということをこないだ担当さんと話をした。
まずシナリオを頭から終わりまで文章なりで作ってしまって、それをページでどう
割り振っていくか、どう演出していくか、というのを計算しながらネームとして
起こすという、目的地までクリアに見え地図を見ながら道を行く人と、
頭から2メートル先は霧の中状態で自分で地図作成しながらジリジリと先進む人と。
私は後者。最初はぼんやりしたシーンを2、3個頭の中に持ってて、それに向かって
どう進んでいくかをジリジリ頭からモグラのように穴掘りながら考えていく。
台詞とコマ割りがまず2、3ページ先行し、それに伴った絵はぼんやりネーム用紙を
眺めているとあぶり出しのように浮いて出てくる感じ。
左脳と右脳を一緒に使っている感じがしてすごく疲れる…ネームの時はいつも眠い…
そして寝つきも寝起きも悪い。
描きたいシーンが先に鮮明に決まっていて、その前後の
辻褄を合わせるようにネームを調整するって言うのは?
他のスレで聞いてみたら結構同じタイプがいたんだけど。