ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十六「白の国斜陽」セルフィーユを出航した『ドラゴン・デュ・テーレ』は当初の予定より遅れること二日、重い荷物を引きずってスカボローの空軍桟橋にもやい綱を結んだ。 「機関、出力もどーせー」 「行き足止めろ! 裏帆打て!」 幸いにして、スカボロー周辺で哨戒に就いていたスループも、桟橋で隣り合う戦列艦も、全てマストの頂上に青旗を掲げたアルビオン空軍艦艇であった。サウスゴータは陥ちたと聞いているが、ロンディニウムが粘っている間はこちらも大丈夫というレジス司令官の見立ては正解の様子である。 「艦長、『マリオン・クレイトン』も問題なく接岸したようです」 ラ・ロシェールでの募兵事務を別の士官と交代したビュシエールは、再び副長としてこの航海に参加していた。先日拿捕した『クライヴ』も修理が終わり次第、募集に応じた水兵と共にセルフィーユへと向かう準備に入るはずだ。 「よろしい。 ビュシエール、俺は挨拶に行って来る」 「はっ。 ……ジュリアン、お供して差し上げろ」 「了解!」 渡り板の向こうでは、既にアルビオン空軍士官が敬礼を捧げて出迎えていた。入港から接岸までは手慣れていても四半刻はかけるもので、迎えを出す時間は充分にある。 「ラ・ラメー閣下であられますか? 司令部までご案内いたします」 「うむ、よろしく頼む」 主力はロンディニウムに戻ったかと居並ぶフネを数えながら、ラ・ラメーは軍港に隣接する司令部へと足を向けた。 「誰何!」 前回立ち寄ったときよりも閑散とはしているが、流石に完全な戦時体制だなと、銃兵が囲む司令部前でひとりごちる。 「スカボロー警備艦隊司令部付き、モートン海尉である。 セルフィーユ王国空海軍司令長官ラ・ラメー閣下を司令部にご案内した」 「ご協力感謝します! ……おい!」 「はっ! 自分が先導いたします!」 そのまま二階へと案内され、ラ・ラメーは応接室らしい一室に通された。 内も外も過日のクロイドン並に充実した設備だが、やはり人の数は少ない様子である。 「ご来訪歓迎いたします、閣下」 「またもや世話になりますぞ、司令」 警備艦隊の司令官はラ・ラメーと似たような歳の少将で、くたびれた様子も見せず、きびきびと応対をした。従兵が茶を入れて退出するのを待ち、早速切り出される。 「今回は流石にセルフィーユ国王陛下は御同乗ではないでしょうが、どの様な任務でアルビオンまで参られたのです?」 「セルフィーユでは先日、適う限りアルビオン王国を支援せよと国王陛下より大号令が掛かりましてな、小官と空海軍は需品輸送の命を受け取りました」 「ほほう、それは真実ありがたいことです。 ラ・ロシェールに直接スループを送るだけでなく、商人をも煽っておりますが、なかなかに厳しいのです」 流石に難しい顔で、司令は首を横に振った。 互いに大陸との輸送路を邪魔をしあうのは当たり前でも、今の時点で数に大きな違いが出ている上に、スカボローの方が遠いのだ。 「サウスゴータは既に陥落したと聞きます。 戦況が落ち着いているなら王都ロンディニウムまで向かいたいのですが、如何です?」 「『今は』と注釈が付きますが、叛乱軍はまだサウスゴータに留まっております。 しかしそれももう一週間、再編が終わっておる頃合いでしょう」 「ふむ……」 その後進軍するとしても、両都市の距離を考えれば一日二日で戦闘が始まるわけもない。上手く行けばロンディニウムでの戦いが始まる前に往復できるかと、司令とは全く違う方角に向けてラ・ラメーは思案した。 「討伐艦隊主力はもうロンディニウムに?」 「はい。 ロサイス逆撃は警戒が厳しく無理と判断し、一昨日早朝にこちらを進発、次善の目標としたサウスゴータを砲撃後はそのまま王都に戻っているはずです。 成否いずれにせよ、報告が入るには今少し待たなくてはなりません。 一部は国内向けの通商破壊戦に回され、敵主要航路の混乱に振り向けております」 サウスゴータの襲撃と通商破壊、少しでも王都侵攻を遅らせようと手を打ったらしいが、果たしてどうか? だが、サウスゴータなどはあちらも狙われるとわかっていようし、手ぐすね引いて待ちかまえられていれば無駄にフネを喪うことにもなりかねない。……いや、もうその心配をする時期はとうに過ぎているかと、顎に手をやる。 「ところで司令」 「はい、なんです?」 「お手間をかけてしまうが、行きがけに三色の旗を掲げた商船を捕らえましてな」 「ほう、それはまた……先を越されましたな」 くくくと笑う司令に、小さく肩をすくめる。 「積み荷は主に糧食を中心とする需品、ダータルネスを出た徴用船舶でありました。 目的地はロサイス、指揮官は元王立空軍の士官でフネの方は三十メイル級の商船『マリオン・クレイトン』、船長以下丸抱えで雇われたと聞いております」 ダータルネスからロサイスに向かうには、王都経由、西回り、東回りの主に三つの航路がある。近いのは王都経由だが王党派が見逃すはずもなく、西回りは安全だが風の都合が悪く大回りになってしまう。そこでスカボローとニューカッスルさえやり過ごせるなら東回りの航路は有力な候補となるのだが、運悪く『ドラゴン・デュ・テーレ』に行き当たってしまった様子であった。……王党派のフネが来るはずのない南から船首方向を押さえられた上に、船足と砲力で勝てるはずのないフリゲートを相手に立ち回る愚を理解して降伏したとは、杖を降ろした指揮官から聞き取った話である。 『ドラゴン・デュ・テーレ』が大砲の代わりに『マリオン・クレイトン』と似たり寄ったりの補給物資を積んでいたなど、こちらから話さなければ想像もするまい。 「しかし、まさかロンディニウムまで連れ回すわけにも行かず、少々困っておるのです」 「王都に向かわれるですか!?」 「今ならレコン・キスタの主力は王都の南、ニューカッスルを大回りして北か東から入るなら、最悪でも哨戒のフリゲートぐらいしか出会わんでしょう。 ……申し訳ないが、捕虜の処遇について一任してもよろしいだろうか? ついでにですな、帰り際まで『マリオン・クレイトン』をスカボローにてお預かりいただけるとありがたいのだが……」 「それならばお安い御用ですぞ。 ご覧の通り、桟橋は余っておりまする」 司令は窓の方を仰ぎ見て、ラ・ラメーと同じように小さく肩をすくめて見せた。 捕虜を引き渡すと連絡要員さえ残さず、『ドラゴン・デュ・テーレ』はスカボローを出航した。司令部からの依頼で数人のアルビオン士官の移動を引き受けていたが、それこそお安い御用である。 「前回は戦列艦に足並みを合わせていましたが、風を考えてもロンディニウムまでは二日ほどでしょうな」 陽光はまだ中天にあるが、ニューカッスル経由で先日通った航路を逆に進み、夜間のうちに大陸へと舳先を向ける。その後はなりふり構わず強行だ。王都に近づくほど安全になるし、レコン・キスタの主力は王都攻略に備えてロサイスかサウスゴータにあるはずで、わざわざ遠回りをする理由がない。 「レコン・キスタも東には主力を回しておらんでしょう」 「これだけの大きい戦だと、艦艇のみで奇襲を仕掛けるよりは、陸と足並み揃えて直協する方が常道ではあるが……」 「まあ、こっちに影響があるとすれば……攻略前に、高速艦艇を連絡線の遮断に派遣して嫌がらせをする手があるでしょう? あれらに行き会うかどうか、というあたりが焦点と考えます」 運悪くフリゲートの戦隊にでも行き会うと、それこそ『クライヴ』や『マリオン・クレイトン』の辿った運命が、そのままこちらの末路になる可能性があった。 しかし、勝てぬ戦いを相手に無理強いしているのは、何もレコン・キスタだけではない。 ガリアがセルフィーユを独立させたのも、ラ・ラメーがコルベットや商船を苦労なく拿捕できたのも、同じ法則の元に支配された力関係が発露しただけのことなのだ。 ロンディニウムまでは、結局二日と半日ほどの時間を掛けた。ニューカッスル回りで大陸に入った後、風向きの具合が悪かったのだ。 途中、レコン・キスタとは一度も出くわさず、代わりに警戒に当たっていた竜騎士と行き会ったが、セルフィーユ艦であることが確認出来ると敬礼と共に去っていった。 「……こりゃあ、復旧したとはとても言えませんな」 「余力が吸われておるのか、はたまた……」 無事に到着したクロイドン軍港は破損したまま放置されているフネも多く、一部のみで復旧作業と艦艇の修理が続いている様子だった。戦闘中でないことは見て取れたが、それだけだ。信号所を見れば新築作業中で、足場が組まれているものの機能していない。 「港の手前でフネを止めろ。 誰か!」 「自分が行きます!」 「小官も参ります」 杖を振って士官二人ほどが飛んでいくと、しばらくはすることがない。 「ビュシエール、フネが少なくないか?」 「明らかに少ないですな。 演習場の仮泊地に残りがおるとも思えませんが……。 ですが、あちらの右手におる戦列艦は、討伐艦隊にも参加していた『フォーティテュード』です。 討伐艦隊が一戦して帰って来たのは間違いありません。 それに……」 「ああ、『ヴァリアント』と『ヴィジラント』の姿がないな」 頭文字にVを冠されたこの両艦は、それぞれジェームズ国王とウェールズ皇太子のフネとして知られる。……当人が必ず乗船しているわけもないだろうが、状況を勘案するに王都の楯として前線に出ているか。 送った士官はすぐに戻ってきた。 「どうだった?」 「入港は大丈夫のようです。許可が出ました」 「艦隊は?」 「南に五十リーグほど下った丘陵地帯に防衛戦が張られ、支援にまわっているようです」 ロンディニウムの手前に空陸協同して重厚な戦線を作り、そこで叛乱軍を迎え撃つのだという。動けるフネは既に艦列を組んで出撃し、こちらにあるのは修理待ちの艦ばかりであった。 桟橋が空いているせいか入港の許可はすぐに降りたが、戦況はさて……。 指示に従ってフネを着けると、荷役はせずに待機と休息を命じ、ビュシエールに後事を託してラ・ラメーは馬車の人となった。 「おお、ラ・ラメー長官!」 「先日振りであります、ウェールズ殿下」 戦闘が間近に迫り忙しい状況であろうに、執務室まで最優先で通されたラ・ラメーは些か面食らっていた。 ウェールズは疲れた様子であったが、覇気に満ちている。こう言っては失礼だが、斜陽差し込む国の王子とは思えぬ明るささえ垣間見えた。 「成すべき手を打ってしまったので、さて次の手はどうしたものかと思案していたのです。 出陣をすると言ったら、総司令部の全員が止めに来まして……」 そりゃあそうだろうと、顔には出さないままその司令部とやらに同情の念を送る。 「討伐艦隊はサウスゴータを砲撃し、南部では防衛戦を張られたとお聞きしました」 「ええ、お陰で少し時間を稼げたので、王軍六個連隊に諸侯軍が五千、合わせて一万五千はなんとか。 空の方は戻ってきた討伐艦隊に使えるフネを全部与えて、合計四十二隻。 そこに竜騎士の半分とロイヤル・ガーズを加え……それはともかく、敵の動きが早ければ今頃は開戦しているかもしれません」 「そうでありますか……」 ロイヤル・ガーズ……王立近衛騎士団は、トリステインの魔法衛士隊に相当するアルビオン王室警護の要であった。いわば最後の楯であり、少々のことで戦場に送り出されるような存在ではない。 これはいよいよもって時間の問題のようである。 「肝心なものを忘れておりました。 こちらは、リシャール陛下よりお預かりした親書であります。 もう一つの書類束は積み荷の品目とその受領書にて、お望みの届け先が港外でも当方で向かわせていただきます」 「……長官、リシャール陛下はお怒りになられていたのではないかな? 実は随分と勝手を押しつけてしまったのです」 「いつもと大してお変わりないご様子でしたが、さて……」 そう言えば帰国後すぐの御前会議で、うちの陛下はブレッティンガム男爵から何やら押しつけられていたなと思い返す。だがその後の様子は冷静その物で、極度の怒りも哀しみも見えなかった。 「ああ見えて、なかなかに胸の内を明かさぬお方ですからな。 並の胆力の持ち主でいらっしゃらないことだけは、小官も存じておりますが……」 「……たった一度だけ、完全に呆けておられたのをお見かけしたが、その時も半刻かからずいつもの調子に戻られていましたよ」 「ほう?」 「諸国会議の席上に呼ばれて、王冠を戴かれた時のことです。 なんと心の強いお方だと、正直、感服いたしましたよ」 ラ・ラメーもあの時リュティスにいたが、トリステイン中央と示し合わせてあれだけ準備周到に組み立てていた予定を、真っ正面からひっくり返されたのだ。流石にうちの陛下も驚いたのだろう。 さもありなんと、ラ・ラメーは頷いた。 会談は短く終え、ジェームズ国王への挨拶は来客中とのことで後に回すと、ラ・ラメーは再びクロイドンにとって返した。 物資の搬入先は王城、ついては馬車が足りぬと直接の乗り入れが許可されたのだ。 実際に足りぬのかもしれないし、セルフィーユへの信頼を示すと同時に箔付けを与えたとも取れる。 クロイドンから水先案内に乗せた士官の指示通りハヴィランド宮の練兵場にフネを降ろせば、集まってきたアルビオン側の従者や兵士は僅かであった。……本当に足りないのかと、皆で顔を見合わせる。 「散弾砲を先に降ろせ。糧食は最後だ」 「前部砲員、集合!」 士官を宛って水兵を仕事に散らし、ともかく降ろしてしまわねばと、ラ・ラメーも砲甲板に降りて散弾砲に杖を向けた。王城内では土メイジに船台を作らせるわけにも行かないし、この人数ならその作業時間で荷役も終わる。 「艦長、大変です!」 「どうした、ビュシエール?」 「下にジョージ・ブレイク閣下がおられます!」 「ブレイク閣下だと!?」 ジョージ・ブレイクは二年ほど前に年齢を理由に引退した、王立空軍本国艦隊の前司令長官であった。若いラ・ラメーが小さなスループの艦長を拝命していた折、空賊退治で共闘して以来の仲である。 ラ・ラメーは散弾砲を上甲板に運び出すと、ゆっくり降ろして水兵に後を任せてから自分も地面に飛び降りた。 お互いを認めて敬礼を交わし、相好を崩す。 「久しいな、ラ・ラメー卿」 「閣下もお変わり無く。 ……軍服を着ていらっしゃると言うことは、現役に復帰なされたのですか?」 「後任のリッジウェイ君が謀殺されてしまったのでな、急ぎ呼び戻されたのだ」 「リッジウェイ閣下のことは、誠に残念でありました……」 「うむ、気のいい奴だった……」 しばし瞑目して、その死を悼む。 「しかし……卿こそ退役したと聞いていたのに、あれだけ嫌がっていた陸の上の仕事を押しつけられたらしいな?」 ラ・ラメーが昇進を拒否して現役の艦長に拘り続けたことは、ブレイクに限らず知られていた。 「うちの陛下は実に話の分かるお方でして、艦長兼任でも構わぬとお墨付きを頂戴しております。 思わず頷いてしまいましたぞ」 「……そこだけ聞くと、司令部仕事なんぞ放り出したくなるな」 「小官からご推薦いたしましょうか? 閣下なら経歴も十分以上、ちょうど一隻、皆で艦長を持ち回りにしているフリゲートもありますので……」 「それは勘弁じゃ。 そのように魅力的な条件を出すと、こ奴、本当に行きかねぬわ」 「ジェームズ陛下!?」 思わぬ声掛かりに二人して跪く。戦時にて敬礼でも良いと気付いたのは、膝をついてからだった。 「ラ・ラメー卿、先ほどはすまなんだな。 丁度ブレイクを呼びつけて説得しておったのだ」 「陛下直々のお呼びとあらば、家で回想録を書いている場合ではありませぬからな」 「よく言いおるわ。 開口一番に『自分の指揮するフネは何処でありますか』などと聞こえた気もするが、朕の耳が遠くなったせいか?」 「はて、自分も歳のせいか最近口が言うことをききませんで……」 「こ奴、既に主力が出払った後と聞くなり憤慨しおってのう、宥めるのに苦労したわ。 ……まあ、冗談はさておきな、本国艦隊の司令部があちらに押さえられてしまったので、指揮官が不足しておる。戦死した者も多いでな。 王都に残るのは袖の白線と士気は足りておっても軍務府務めの者が大半でのう、需品調達と事務仕事と会議の根回しならブレイクが百人束になっても勝てぬだろうが、今欲しいのは経験豊富な提督と艦長じゃ」 袖の白線は陸で言うなら階級章の星の数、それを身に着けることが許された高級士官のことである。 前線配置と後方勤務では、当然ながら必要とされる資質も能力も異なった。セルフィーユぐらい空海軍が小さければそれこそ空港の司令部に常駐する数人で回せる軍政だが、往事には百隻の戦列艦とともに十万近い将兵を数えていたアルビオン王立空軍ではそうもいかない。ロサイスの正面戦力が押さえられて、ロンディニウムの軍務府は健在となれば、偏りが出て当然であった。 「そのようなわけで、陛下のご差配により新たな艦隊の司令官職を賜ったのだが、麾下の艦はこれ全て中大破以上で防衛艦隊に出せぬフネばかりなのだ」 「それはまた……」 「……比較的被害がましなフネから帆と風石機関を最優先で修理させているが、半壊のクロイドンよりは設備がまともなスカボローに回したくとも、使える艦長は皆防衛戦に出ていてな」 「仕方あるまいて。 先に出した防衛艦隊には候補生が甲板長をしておるフネさえあるというに、これ以上引き抜くわけにもいかぬ」 ロサイス撤退戦に加えて、サウスゴータでも一戦した影響もあるのだろう。 一般的な空海戦では、士官の戦死者は水兵に較べれば数こそ少ないが、比率は高い傾向にある。指揮能力を奪う理由から露天指揮所は狙われやすいし、そこには士官が集中していた。接近戦では砲火に混じって互いに魔法を飛ばし合うし、白兵戦でもまずは士官メイジが狙われる。 だが……スカボローなら帰り道かと、ラ・ラメーは思案した。うちの陛下が示した大方針と相反しないなら、言い訳も立つだろう。 「ジェームズ陛下、ブレイク閣下」 「うむ?」 「耄碌寸前の老いぼれでよろしければ、艦長経験者を七、八人ほど連れてきております。 態度ばかりが大きいので、セルフィーユ空海軍では雁首揃えて平海尉なんぞに甘んじておりますが……スカボローまででよろしければ、お使いになられますか?」 「ふむ……」 「むう……」 ジェームズ王とブレイクは顔を見合わせた。 ブレイクは即断し、スカボローに連れていくフネには、修理は後回しにされていたが捨てるには惜しい三隻が選ばれた。 流石に丸二日を準備に宛い、船体は穴だらけながら帆と風石機関に仮の修理が施された艦を指揮下に組み込んでセルフィーユ士官から艦長の人選を済ませると、あとは挨拶をするばかりである。 既に南の防衛戦では小競り合いが始まっており、集成された防衛艦隊も一度は打って出たという。 もう二日あれば連れていくフネを一、二隻増やせたかも知れないが、戦況も修理能力も限界であった。一番修理の進んでいた数隻は、ブレイク提督が預かって出撃の準備が進んでいる。 宰相執務室に出頭して王都出立を告げると、ウェールズは官吏に頷いて書類鞄をラ・ラメーに預け、それとは別に封書を取り出した。 「ラ・ラメー長官、こちらをリシャール陛下にお渡ししていただきたいのです」 「確かにお預かりいたしました」 随分と分厚いがまあいいかと、ラ・ラメーは懐に収めた。大方、アンリエッタ王太女への私信でも入っているのだろう。口に出さぬが花である。 「それから、こちらの受領書にサインを願います」 「はて、なんですかな?」 書類の冒頭には、軍需物資の取引代金三十万エキューと書かれてある。アルビオンでは戦時にて物価が高騰しているにしても、まともな値付けではない。 何らかの意図の元、言い訳の立つ理由を用意しているのだろうが、眉根を寄せるラ・ラメーにウェールズは真剣な眼差しを向けた。 「お贈りいただいた物資は輸送路がほぼ止まっている現状、実にありがたかったのですが、セルフィーユの首がアルビオンより先に締まっては、こちらとしてもまずいのです。 あれはセルフィーユの限界を明らかに超えていましょう? ……それに空海軍が突如半分以下になりましたから、支払うはずの給与が浮いているんですよ」 「はあ、そう仰るのでしたら……。 しかし、小官はお預かりするだけですぞ?」 「リシャール陛下なら、上手く使われると信じておりますので」 陛下を筆頭に、うちの国が資金繰りに四苦八苦しているのは知っている。……これで一息着けるだろうとは思うが、その判断はラ・ラメーのするべきことではない。 「ではスカボローまで、あの三隻をよろしく頼みます」 「は、全力にて任務を遂行いたします」 今生の別れとは限らないが、ウェールズとラ・ラメーは真剣な表情で敬礼を交わした。 予定は更に半日遅れ、王都の南で前哨戦が始まったところで、臨時に組まれた戦隊は修理をうち切って強引にクロイドンを出航した。 「こりゃあ、帰りは三日どころじゃ済みそうにありませんな……」 「フン、あいつらが艦長の仕事を思い出すのには丁度良かろう」 二等戦列艦『ウォースパイト』は前檣楼が丸々消失しており、速度はそこそこ出るが操艦に難があった。臨時の艦長には舵取り名人のユルバンを宛ったが、苦労している様子が見える。 「『センチュリオン』、流されています」 フリゲート『センチュリオン』は折れた三番帆の修理が間に合わず、二本マストのまま出航していた。風石機関も一つは死んだままだ。 「……こっちの速度を落としてやれ。 『フォーティテュード』に信号」 「はっ!」 討伐艦隊にも参加していた三等戦列艦『フォーティテュード』は預かった中では一番ましな状態だったが、火薬樽が爆発したお陰で右舷中央から後楼付近が焼損し、突貫工事でとりつけた不格好な舵がやたら目立つ。 ……そのどれもが正規の士官を乗せておらず、セルフィーユ空海軍の老士官が艦長と副長を務め、応集で復帰したばかりの予備士官に下士官から急遽選抜された航海士、それに僅かな士官候補生が若い水兵たちを指揮していた。 ブレイクは防衛線から戻ったコルベットを露払いに回そうとしてくれたが、それはこちらで断っている。 本格的な戦闘が目前まで迫れば、連絡線の遮断に回されていたフネは引き上げられるとラ・ラメーは知っていた。……王党派に戦局を左右するほどの援軍がないことは、両軍共に最初からわかっているのだ。ならば陸戦開始直前の奇襲を警戒して周辺の哨戒を濃密にするのが、まともな判断というものである。 やれやれと、ビュシエールが後方を振り返った。釣られてそちらを見れば、それぞれが右に左にとふらふらするので、どうにかまとまってはいるものの後続は艦列になっていない。 「この調子なら、スカボローまではなんとか持つでしょうが……。 それにしても、とんでもない『勅命』を頂戴しましたな」 「まったくだ。 だが……」 無論、他国の王がセルフィーユ空海軍に『勅命』を発することなど出来ないし、正しくは『ご希望』と言うべきなのだが、受け取る側にも気分というものがある。 帰り際、ジェームズ王から託された巨大な木箱の中身を思い浮かべて、ラ・ラメーはにやりと笑った。 ←PREV INDEX NEXT→ |