ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十五「革命の旗」





 セルフィーユ王の来訪を歓迎した七日後のこと。
 ロサイスは叛乱を起こし、掲げる旗印を王党派の青い旗からレコン・キスタの三色旗に変えていた。
 戦列艦のマストの先に、司令部の前庭に、隊列を組む陸兵の旗手が持つ旗竿に。
 今はそこかしこに、革命の三色旗が靡いている。
 貴族を表す青、始祖の正統と清廉なる志を示す白、そして血を流す事も厭わぬ決意を込めた赤。
 それを見上げる彼らは、自らの成した偉業に酔っていた。



 ……その日の朝、軍港で火の手が上がり、構内と言わず艦隊と言わずロサイスは騒然となった。
 長官公室隣の小会議室で副官や補給担当の参謀らより、次期の補給計画について報告を受けていた本国艦隊司令長官リッジウェイ大将の元に、武装した水兵を連れた副司令官ウォルコット中将が駆け込んできたことが、直接の引き金となったであろうか。

『何事か!?』
『叛乱であります、リッジウェイ閣下』
『何だと!?
 すぐに陸兵を……まさか、貴様!』

 杖を抜こうとしたリッジウェイは、副司令官ウォルコットが手を振り下ろすと同時に水兵の銃で蜂の巣になった。抵抗しようとした副官らも重傷を負い、銃声に続いて現れたウォルコットに同調する叛乱軍士官らによって拘束されて行く。

『司令部は我らレコン・キスタの手中にあり!
 王立空軍の旗を引きずり降ろし、革命旗を掲げよ!』

 生き残った者に言わせれば、その後の数時間は地獄の釜が開いたとしか言いようのない激しい戦闘となった。
 司令部に革命旗が上がると、予め叛乱に乗ることを決めていた数隻は桟橋に繋がれたまま僚艦を数十メイルの至近距離で砲撃し、もやい綱を引きちぎって離床、そのままゆっくりと進みながら、混乱の助長と戦意の喪失を狙ってフネと言わず港湾施設と言わず手当たり次第に砲弾の雨を降らせた。

 司令官が機転を利かせて麾下の戦隊に手旗信号を送らせ、一斉に出航退避した戦隊もあったが、状況確認と命令系統の確立という軍人として当然の行動を行ったが為に出航が遅れ、時機を逸してしまったが故に降伏へと追い込まれたフネも多かった。
 これはどうしようもないと艦長が決断し、軍旗を降ろしたフネはまだいい。少なくとも士官も水兵も命は永らえたし、仰ぐ旗印は変わったが階級は保証されて給与も支払われると約束された。
 伝令を装った叛乱軍士官に重傷を負わされた提督、状況を把握して艦長が反抗の意志を固めた頃には大破していたフリゲート、運悪く同士討ちで遥か三千メイルの高度から燃えながら堕ちていった戦列艦など、枚挙に暇がない。慌てて逃げだした商船に衝突され、一緒に爆沈したフネさえあった。
 レコン・キスタは一年余り影を潜めていた上、本国艦隊の根拠地だと大半の将兵が気を抜いていた……いや、次の航海に備えて気を抜くのも仕事の内であることが悪い方に働いたのかもしれない。
 更には修理待ちや補給待機中と言った、実際に動けない理由があって留め置かれているフネなどは反撃のしようもなかった。

 個々の判断で港外に出ようとしたフネは、更に酷い状況となった。
 艦内の混乱を押さえて運良く港を抜けたフネも、偽装した商船と思しき統制の取れた一隊に不利な位置取りでの交戦を余儀なくされた。傷ついて沈むか、ロンディニウムに向かうはずがトリステイン行きを余儀なくされてしまったフネもある。正規の軍艦と言えども、不意を打って数で囲めば砲力で圧倒されてしまうこともあるのだと、過去の戦訓を証明してしまう結果となった。

 戦況は混乱を極め、一時は仕掛けた側のレコン・キスタでさえ勝っているのか負けているのか判断が付かなかったほどである。
 それでも半日が過ぎる頃には、ロサイスの周辺で王国の青い空軍旗を掲げているフネは、黒い煙を上げて燃えているものだけとなった。
 脱出した者、戦死した者はともかく、降伏した者は簡単な取り調べの後に恭順を誓うだけで自由な行動が許されている。大らかと言うよりは叛乱の規模が大きすぎたことと、大抵は艦長や戦隊司令を掌握していれば問題にならないからこそだった。中には恭順後に元の配置から引き抜かれ、新たに修理中の艦を与えられた者さえいる。
 それにこの叛乱、水兵達にはあまり関係がなかった。朝は甲板を磨き上げ、昼は大砲の手入れをし、夜はハンモックで寝る彼らの生活は、旗の色が変わろうと一切変化はない。ある意味、諸侯と領民の関係に近いだろうか。今の王様は悪い王様で、新しい王様は素晴らしいお方だと上官が唱えれば、内心に不満があってもそんなものかと頷かざるを得ない。
 それに……彼らには、叛乱の成功を祝って革命艦隊司令部から一人あたりカップに半分づつ特配された蒸留酒の味の方が、余程重要な事柄であった。
 

 更に数日後の月の変わり目、レコン・キスタの議長であるオリヴァー・クロムウェルは、小型のフリゲートで叛乱の爪痕が残るロサイスへと降り立った。
 なにしろ、後先考えずに火力が振るわれたのである。数日で復旧できるはずもなく、巨大なゴーレムが残骸の撤去に働き、修理を待つ戦列艦が桟橋に並んでいた。
「おお、君がウォルコット君だね!
 余が議長のクロムウェルだ」
 クロムウェルは迎え出た『革命艦隊司令部』の面々に相好を崩し、芝居がかった大仰な仕草で感動を示した。
「なんともなんとも、見事な勝利であった!」
「は、閣下のおかげを持ちまして!」
「謙遜はいいとも。
 これ全て、君の実力だ。
 これからもよろしく頼むぞ、『レコン・キスタ革命艦隊司令長官』殿!」
「はい、議長閣下!」
「うむ。
 では早速で悪いが、これから余は、レコン・キスタの総司令官としての責務を果たさねばならない。
 近日中にロンディニウムを陥落させるにあたり、革命軍は再編成を行うのだ。
 ウォルコット君、忙しいとは思うが君にも手伝って貰うぞ?
 君は空軍の要だからな」
「了解であります!」
 クロムウェルはうむと頷いて先導させると、司令部の建物へ足を踏み入れた。

「それでウォルコット君、現在君の指揮下にあって動けるフネはどの程度あるのかね?」
 大議場を片付けて急遽設けられた革命軍総司令部で、クロムウェルは前置きなしに問うた。
「は、補給まで済んでいるものは戦列艦十二、フリゲート八、その他十六であります。
 ですがひと月ほどで戦列へと復帰できるフリゲート以上のフネが別に二十余隻、年末までお時間を頂戴できればその倍は確保できます」
 被害は目を覆うばかりだが、元より充実した軍港機能を持つロサイスである。無事だった施設は既に業務へと復帰し、傷ついたフネの修理をはじめていた。
「……激しい戦闘だと聞いておったが、戦士諸君は勇戦したのだな。
 しかし君にも一つ、朗報がある。
 余の手元に諸卿から預けられた武装商船の一団があるのだが、これも君の麾下に組み入れたい。
 君の手元の正規の軍艦は、王党派との艦隊決戦に備える必要がある。
 大小様々ながらとりあえず五十隻ほどあるので、偵察や警戒などにつかってくれたまえ」
「ありがとうございます、閣下。
 五十もあれば、軍艦に較べて能力不足でも数で補うことが可能でありましょう」
「その通り、何者も使い方次第なのだ。
 正面から艦隊に差し向けては無意味な小舟でも、連絡や偵察行動なら十分、捨て去る覚悟を決めれば火船にも使えよう。
 小舟のあり方を理解せず無駄に使うことこそが、戒められるべきなのだ」
「仰るとおりであります」
「それから……」
 もうひと演説を捻ろうとした口に、伝令の報告がかぶった。
「失礼いたします!
 議長閣下、ロンディニウム方面からの報告です。
 ダータルネスの艦隊は、ロンディニウムの奇襲に成功した模様であります」
「おお、やってくれたのか!」
「奇襲、でありますか?」
「うむ、レコン・キスタは長い時間と労力を費やして、アルビオン中にその勢力を広げてきたのだ。
 これも一つの正義、共感する人々が多い証左」
 クロムウェルは大きく両腕を広げて見せた。右の手には、大きな水色の宝石がはめ込まれた指輪がはめられている。
「余の手はこの通り、部屋の両壁にも届かぬ。
 しかし余が左の壁を触り、ウォルコット君の手が右壁に届いたならば、レコン・キスタは両方の壁に手を伸ばしたことになるのだ」
 ハヴィランド宮にもすぐ届こうぞと、クロムウェルはわざとらしい笑みを浮かべて見せた。

 翌日以降も、ロサイスには革命旗を掲げた大小様々なフネが入港してきた。
 平甲板の小型商船に大砲だけを乗せたものから、元は大型スループか小型の戦列艦であったと思しき上下二列の砲門を備えた正規の軍艦まで、おしなべて型は古いが戦力の補強としては申し分ない。
 それらは桟橋に横付けると、積み荷の代わりに武装した一団を吐き出していった。旧式の火縄銃と短い槍しか持たない徴集兵から、明らかに傭兵上がりだと見える杖持ちの指揮官に率いられた一団、更には王軍の制服を着用してきびきびと行進している中隊さえある。
 状況に流され、半信半疑のまま叛乱に参加せざるを得なかった元王立空軍の士官達にさえ、もしかするとレコン・キスタは勝てるのではないかと思わせるほどであった。
「軍港機能は三割未満というところね。
 よくもまあ、派手に壊したものだわ」
 それを横目に眺めながら、議長秘書官のシェフィールドは直属の腹心と共に軍港を検分していた。秘書官としての仕事でありながらジョゼフ王の配下として裏の仕事にも必要で、自分で動く方が都合がよい。
 シェフィールドは艦隊司令官ではないから、大雑把に軍艦と商船それぞれの数がわかればそれでよかった。
「そちらの方はどう? どのぐらいの戦力が揃ったのかしら?」
「はい、陸の方はグレンジャー、ダンスターがよく動いておりますので、近日中には三万に届きます。
 これは現在、シティ・オブ・サウスゴータに向けて進軍している一万を含めた数字です」
 王軍は王都に引きこもり、戦力の再編中である。その隙に奪ってしまえば、これほど楽なこともないだろう。
 作戦の指示は、細かな予定表をクロムウェルに渡して丸投げを済ませていた。
 実際、一番困難な段階は既に過ぎ去っている。
 本国艦隊を奪えば、アルビオンなど丸裸同然なのだ。
 ではその本国艦隊を奪うにはどうすればいいのか?
 ここが一番の難関だったが、シェフィールドは時間と金、魔法具を使うことで解決していった。
 グレンジャー、ダンスターと言った手駒を使って諸侯を一人二人と取り込み、更に彼らと繋がりのある諸侯、士官、艦長、提督を釣り上げ、相手によっては『虚無』をちらつかせてアルビオンの正統を主張する。賛同すればよし、日和見を確約してもよし、駄目なら脅し、あるいは金銭や地位で釣り上げ、時には頑固者を傀儡人形に仕立て上げていった。それらを縦に横に広げて積み重ねた集大成が、先日の叛乱であったのだ。
 特に虚無を根拠とする正統の主張は、彼らにとって衝撃であったようだ。王家の何が大事と言って、何よりも始祖の直系たるその血筋こそが拠り所なのである。クロムウェルの生家が正真正銘の平民で、祖父ぐらいまでしか血筋の確認が取れないこともこの場合は有利となった。落とし子……ご落胤の血と、相手が誤解するに任せておけばいい。
 ジョゼフからは諸国会議終了後まで叛乱は延期と指示が出ていたので、逆に細部を詰める時間を得られたほどである。
「まずはサウスゴータ、その後はロンディニウム。
 サウスゴータの方は今月いっぱいもかからぬと予想されますが、ロンディニウムは頑強な抵抗がありましょうから……」
「それでも今年いっぱい、というところかしらね」
 シェフィールドは革命の三色旗を見上げた。
 計画の遂行を一任された彼女自身が、ワインを片手に三秒ほどで考えたものだ。たかだか叛乱の旗印、その図案などに頭脳の全力を傾注するなど愚かしいにも程がある。
 公には貴族を表す青、始祖の正統と清廉なる志を示す白、そして血を流す事も厭わぬ決意を込めた赤と言われているが、そんな意味はひとつもない。
 ……アルビオンの青、トリステインの白、ゲルマニアの赤。侵攻する順にならべただけのわかりやすい旗なのに、何故誰も気付かないのかしら。
 各地との連絡に出て行くコルベットを見送りながら、主人を真似るように、彼女は半ば本気で首を傾げた。



 その主人であるガリア国王ジョゼフ一世は、グラン・トロワの奥深い一角、各国戦力を表した沢山の駒がひしめき合う立体地図のある小部屋で、楽しげに酒杯を傾けていた。
 先ほど従者が動かしたアルビオンの勢力図は、あっと言う間にレコン・キスタ優勢と示されている。
「ふむ、余のミューズは本当にアルビオンをひっくり返してしまったのだな。
 準備に時間を与えすぎたか、これでは拮抗どころか半年持たぬぞ……」
 これだけの大舞台、じっくりと楽しむはずが、そうは行かぬ様子である。
 それもまた、面白いのかも知れぬ。
「……つくづく巻き込まれやすい質なのか、かの王は?」
 盤上の都市を順に眺め、ロンディニウムにアルビオンの旗を掲げていないフネを見つけた青髭の王は、僅かに目を細めた。




←PREV INDEX NEXT→