ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第四十八話「敗軍の列」




 祖父らと会合を持った翌日、トリスタニアでは年始の祝賀会に出席しないマザリーニとも話し合い、両国の情報を交換してからリシャールはとんぼ返りでセルフィーユへと舞い戻った。
「お年始って気分じゃないなあ……」
「きゅい?」
 ブリミル歴六二四二年は感慨も余韻もなく明けてしまったが、今年がおそらく勝負所になるとリシャールはみていた。
 無論、それは予感ではない。
 アルビオンの滅亡が確定している以上、その直後にどう動くか、あるいはどう動かれるかで先が見えてしまう。
 願わくば貧乏くじだけは勘弁して欲しいと、大して信じてもいない始祖に向かって聖印を切るリシャールであった。

 『三が日』をトリスタニアとの往復で潰すと、新年四日目からは内向きの予定をこなさなくてはならなかった。予定の内だが、ここが踏ん張りどころである。
 今年からは王国に表看板をかけ替えたことで、予定も若干増えていた。
 本来なら明けて二日のフレイヤの週ユルの曜日、トリステインなら新年の祝賀会が行われている日に持ってくるべき新年の食事会を五日目ラーグの曜日と六日目イングの曜日の二日間に宛い、前日を国内貴族や大使らとの会合に、後日を村長ら平民との懇親会に使った。
 のんびりと出来たのはその合間、家族とともに城に滞在するタバサやキュルケらと、珍しく積もった雪を見ながら茶会を楽しんだことぐらいだろうか。ささやかながらリシャールの誕生祝いも兼ねていたが、祝いの言葉が交わされたぐらいで、この時局、余裕がないと特別なことは催さなかった。
「あらカトレア、それは氷菓子?」
「せっかくの雪だし、リシャールの誕生日だから、料理長が張り切ってくれたのよ」
 カトレアが先導してきたワゴンには雪を盛った大皿が載っていて、レモンベリーの果汁をたっぷり吸わせたスポンジケーキが並べてある。見かけの割に手間が掛かると、リシャールは知っていた。
「トリステインじゃ、あまり食べないのかしら?」
「夏に魔法の氷を使って作る方が多いわね」
「ん。冷たくて美味しい」
「あんまり食べ過ぎるとお腹が冷えるわよ、タバサ」
「わたしも!」
「ええ、マリーの分もあるわよ。
 ……あーん」
「……。
 つめたーい!」
 楽しげな娘の顔を見ながら考えたのは、近頃の自分自身であった。最近は家族を顧みない仕事中毒のサラリーマンのようで、それこそ風呂・飯・寝るが城での過ごし方だったと反省しきりである。
 だが疎かにすれば彼女の未来を奪ってしまうとわかっているだけに、単身赴任でないだけましかと嘆息一つで胸のうちに収めるしかなかった。

 降臨祭の休暇が明けると、例年と変わりない忙しさで皆が目を回した。
 年初の徴税はいつもより列が長くなったし、商船の入港も増えている。キュルケらもリシャールやカトレアから手紙を預かって、魔法学院へと戻っていった。
「陛下、ただ今戻りました」
「ご苦労様です、艦長。
 ……どうでした?」
 休暇明け、無事に『ドラゴン・デュ・テーレ』も戻っていたが、王党派はやはり長く持たないらしい。
「スカボローは正に戦の準備中、というところでありました。
 また、他国商船も主な取引先を貴族派に移しつつあります」
「機を見るに敏……というよりそれが当たり前の状況に移行した、と言った方がいいかもしれませんね。
 マザリーニ宰相もそろそろ中立の旗を掲げねば、稼げる時間も稼げないと仰っていました」
「ですな」
 負け戦と解っていてなお荷担するのは、あまり賢い選択ではない。
 セルフィーユの場合は選択肢が提示された時、他の道を選びようがなかっただけである。トリステインは時間稼ぎだ。
「また、ラ・ロシェールにあったアルビオン艦は全て修理を完了し、本国へと帰還いたしました。
 ですが今後はそちらも難しく……」
「セルフィーユが損傷艦でも足を伸ばせるほど近ければよかったのですが、難しいでしょうね」
「はい。
 場合によってはフネを処分し、将兵が陸路セルフィーユに入る可能性も考慮して欲しいと、ウェールズ殿下よりご希望が出されております。各艦長にも秘密裏に伝達済みと聞きました。
 全艦がこちらに来るとは思いませぬが、予想より多い可能性も出てきましたぞ」
 直接的な戦争の始まりを出来るだけ先にしたいトリステインは、引き金になりそうな開戦の口実を貴族派に与えないよう苦慮していた。援軍の検討こそしているものの会議その物を引き延ばしていたし、下手な刺激を与えないよう静かな対応に留めている。
 その影でマザリーニ宰相やラ・ゲール外務卿らが大国から援軍を引っ張ろうとしているのだが、反応は芳しくなかった。こちらが値を釣り上げるのを待っているのでしょうなと宰相は肩をすくめていたが、その心中までは計り知れない。
 また、あちらの方で脱出せよと先に命じられているならば、組織が崩壊せぬままやってくるから管理はしやすくなる。だが当初予想していた、最後の最後で落ち延びてきた敗残兵を保護するという形ではなく、ある程度の戦力を保ったまま、つまり数百人単位で雪だるま式に増加する可能性もある。……下手をすれば、受け取った財貨では足りないかもしれない。
「それから、ラ・ロシェールは今後使えなくなるやもしれません。
 ……三色の旗を掲げたフネが多すぎます」
 スカボローまでなら力任せに向かえば警戒するのは敵フリゲートに絞られるが、それ以外にも心配事がある。表だって支援しているセルフィーユの空海軍に、裏切り者が潜り込んでいないとは限らない。募集に応じた水兵の中に、間諜が混じっている可能性は低くなかった。今後、スカボロー陥落後にニューカスルの秘密港に寄港するとなれば、より警戒は厳重にせねばならない。
 ラ・ラメーからは、セルフィーユ空海軍創設以前から見知っていてラ・ラメーに『くっついてきた』トリステイン空海軍出身の古参水兵や熟練航海士たちに、それとなく監視をさせていると聞いていた。
「トリステイン近くでは手も出して来ぬでしょうが、通報されてはこちらが狩られる側に回る可能性もあります。
 特に行きが問題ですな」
「ラ・ロシェールに寄港せず、アルビオンと往復することは可能ですか?」
「積み荷を半量にすれば可能ですが、その場合は『サルセル』を使いたいと思います。
 『ドラゴン・デュ・テーレ』もここらで一度、整備しておきたいところでありますから丁度良いでしょう」
「ああ、海路が使えるなら、足の長さは段違いでしたね」
 一旦『ドラゴン・デュ・テーレ』を輸送任務から外して整備、乗員はその間休息と決定し、あとはともかくエルバートにも話を通しておくかと、リシャールは大使館の事務所に連絡を取った。
 ラ・ラメー艦長と入れ違いに到着したエルバートにも、アルビオンの状況を伝える。
「うちのラ・ロシェール臨時募兵事務所にも伝えておきますが、そろそろフネや将兵がこちらに来てもおかしくはないようです」
「そうでありますか……」
「セルフィーユ側の受け入れ体勢は、まだ調ったとは言えません。
 ですが、いまでも数隻のフネなら係留可能です」
「先日お聞きした、アリアンス島の廃港ですな」
「ええ。
 但し、設備から作ることになりますから現時点では修理などもラマディエの空港で行うことになりますし、そちらも充実しているとは言えません。乗員もフネから降ろして預かれるのは数十名が限度です」
 アルビオンより支援を貰っているが資金は無尽蔵ではないので、拡張は規模に合わせて行いたいとリシャールは考えていた。耐える期間が長ければ、設備を遊ばせてしまう。今の状況では維持費用と効果を天秤に載せれば、戦役終了後は再び廃港として放棄せざるを得ないと結論が出ていたから余計無駄になる。
 それでももう数隻までなら桟橋や船台の基礎工事はしなくてもよいし、新たに下層が発見された地下兵舎も内装に手を入れるだけで最大で五千人近くは収容可能だった。物資は支援用に貯め込んであるものから流用すればよく、しばらくはそう焦る必要もない。
 ただ、先ほどラ・ラメー艦長が口にしていたように、スカボロー陥落後にどの程度こちらに渡ってくるか、それが問題だった。
「ちょっと予想がつきませんけど、少々人数が増えても飢えることだけはないようにしてありますから。
 あとは……」
「はい、状況を見極めて適宜動くしかありませぬ」
 ロンディニウムが陥ちた今、『その時』が着々と近づいていることは、リシャールやエルバートだけでなく、今やハルケギニア中の人々が知りつつあった。

 徴税に絡む日常に追われ、戦乱によって上がった物価を抑えるべく備蓄より麦を小出しにして市場を潤し、ハルケギニア各地に派遣されたフレンツヒェン仕込みの家人より報告書が届けられはじめた月の終わり。
 『ドラゴン・デュ・テーレ』が整備を終えて、次の便にて運ぶ物資をどうするか、『サルセル』に切り替えるかそれともと、エルバートも交えて相談をしている時だった。
「陛下!
 アルビオン艦隊です!」
 からんからんと王政府最頂部の鐘楼が鳴ると同時に執務室に飛び込んできたブルーノ書記官の指差すままに窓の外を見やれば、煙こそ上げていないものの船体には穴が空き、帆どころか帆柱の足りぬ数隻が、千切れ掛けた青い王立空軍旗を辛うじて掲げている。
 海上をのろのろと街に近づいているが、すぐに到着するだろう。見張りの隙を突かれたわけではなく、海上方面は気を付けていても漁船からの通報を待つか空軍の巡回で精一杯なのだ。
「エルバート殿、空港に先導を!
 構いませんから行って下さい!」
「はい!」
「宰相、こちらを頼みます。
 王政府所属の水メイジは全員空港に集合、城にも使いを出して下さい」
「畏まりました」
 リシャールも書類束を放り出し、窓から直接裏庭に向かった。エルバートは自分の竜がいる大使館に向けて走っていった様子だ。
「アーシャ! 空港までお願い!」
「きゅい!」
 流石に彼女も鐘の音には気付いていた様子で、寝床の外でリシャールを待ってくれていた。
 そのまま飛び乗って、空港に向かう。
 振り返ればさっと数えるまでもなく全部で四隻、戦列艦が大小二隻に、二本マストの中型スループ、残りの一隻は舷側に砲門がなく商船と思われた。
「僕が飛び降りたら、エルバート殿を手伝って空港に先導してね」
「きゅー」
 空港上空で杖を振るい、桟橋の『ドラゴン・デュ・テーレ』に直接降りる。今日はサルセルも並んでいた。
「陛下! こちらでも確認しましたぞ!
 戦列艦を含む損傷艦四隻!」
 甲板上では既に水兵が走り回っている。
「艦長! 出航準備、調いました!」 
「よろしい! 『ドラゴン・デュ・テーレ』は即時出航!」
「了解!
 機関始動!
 臨時で掌帆配置に着いている者は手順確認せよ!」
「乗り組んでいない者は後で構わん!
 マルスラン! 貴様が『ドラゴン・デュ・テーレ』の指揮を執れ!
 空港南側の空き地に錨泊せよ!」
 ビュシエール副長の姿は見えないが、出航の予定がなければ艦長か副長のどちらかは地上で書類仕事に追われていることも多い。
 騒がしくなった艦内と空港をよそに、指揮所にはラ・ラメーとリシャールだけが取り残されていた。
「……スカボローが陥落したのかもしれませんね」
「可能性は高いかと。
 どちらにせよ、出航予定は一旦白紙に致します」
「ええ、そのように願います」
 もう少し粘って欲しかった……と口にするわけには行かなかった。降臨祭を再編に宛てたとてそれは両軍共に同じ条件であって、戦力差はもう差を埋めるどころの話ではない地点まで来ている。
「艦長、出航します!」
「任せる!
 陛下、どうぞ」
「ええ」
 そのまま桟橋に飛び降り、足早に司令部を目指す。空港事務所とは別の建物で幾分小さいが、こちらは完全に空海軍の持ち物となっていた。
「アルビオン空軍の将兵、下手をせずとも一千人行くかも知れませんね」
「満杯の可能性は低いと思いますが、定員で数えれば千二、三百かと」
 長官公室に入るなり次々と指示を飛ばすラ・ラメーを横目に、応接机を借りて陣取ると、その人数なら予算面では大丈夫かと思案する。一個連隊に少し足りない千三百人としても、食料と医薬だけはたっぷり数週間分は確保できていた。
 リシャールは手近にあった筆記具を取り寄せ、今後の対応について検討しはじめた。

 本当に急ぐのは、傷病兵の手当と食事の手配だけであった。
 怪我人は医薬と病床の確保が出来れば、世話人はアルビオンからも出して貰えばいい。食事も空港そばの倉庫には、アルビオンへと送る予定であった保存食他の支援物資が積み上げてある。ビスケットは贅沢品と言えないが、今日明日目を瞑って貰えばその後は改善可能だった。
 今夜は残念ながら船中で過ごして貰うよりないし、船体の修理は後回しだが、ここまで飛んでこられたのだからアリアンス島に移動させることは極端に難しくはないだろう。
 その後はエルバートをまとめ役に、必要な資材の手配から水兵の給与に至るまで、アルビオン軍政に基づいて処理をすればいい。
 但しアルビオン王立空軍の看板は、一時的に降ろして貰うことになる。流石にレコン・キスタが黙ってはいまいし、つけ込まれる理由をこちらでわざわざ用意することはなかった。

「アルビオン艦隊の『代表者』がご到着なさいました」
 代表者とはまた不思議な物言いだなとラ・ラメーと顔を見合わせ、ともかく話をするかと入室を許可する。
 いつの間にかこちらに戻っていたらしいビュシエール副長がエルバートと共に連れてきたのは、小柄ながら軍人然とした壮年士官であった。
「アルビオン王立空軍本国艦隊所属二等戦列艦『ウォースパイト』艦長代行、ヘイスティングス海尉であります」
 リシャールとラ・ラメーも答礼して名乗り、こちらにどうぞと書きかけの紙束を片付けて場所を作る。
 ジュリアンに茶杯を人数分用意するよう頼むと、部屋には一瞬だけ沈黙が降り、エルバートが重い口を開いた。
「リシャール陛下、スカボローは陥落しました。
 ジェームズ陛下とウェールズ殿下はニューカッスルに落ち延びられ、ご無事だそうですが……」
「……何よりの朗報です」
「ええ、はい……」
 当たり前だが、リシャールも含めて皆の顔は暗い。
「ヘイスティングス海尉、戦況は後ほど詳しくお聞きするとして……全員で何名がセルフィーユに到着し、そのうち看護が必要な傷病兵はどの程度ですか?」
「は、総員約四百名、負傷兵は四隻合計しても数十名であります」
 意外に少ないなとリシャールは口にしかけて、はっと気付いた。
 ……おそらくは皆、ここに辿り着く前に死んでいったのだ。

 夕刻前には無事に四隻とも桟橋に固定され、空港と言わず街と言わず大騒ぎとなっていたが、指示が行き渡ったことで状況は動き始めた。
「士官抜杖!
 率先して重傷者を担当せよ!」
 真っ先に傷病兵の移送が行われたが、メイジ士官の行使するレヴィテーションは下手に揺れない優秀な担架であり、肩を貸せば立てる軽傷者は水兵が運び出した。怪我のない無事な者は彼らの代わりに無理を重ねたのか、疲れ果てている者が多い。
 司令部に付随する空海軍の兵舎を一部空けさせたが、それでも足りずに空港事務所の空き部屋を召し上げて臨時の療兵院……病院として扱うことを決め、セルフィーユ側の水メイジを中心として治療が始められている。以前座礁した『ベルヴィール』号は三十人も乗っていなかったが、今度は桁が一つ違うので忙しいどころの話ではない。
 戦死者については急遽クレメンテに話を通し、軍葬を行うとともに大聖堂の敷地にアルビオンの軍人墓地が作られることになった。……建国間もない故に退役軍人の老病死者はおらず、アルビオンとの往復でも戦死者なしで通してきたのでセルフィーユの軍人墓地が未だないのは皮肉なものだ。
 それでも彼らの扱いは、幾分ましだったとも言える。
 戦場からの離脱後、セルフィーユへの脱出が決まっていたことから海に死体を葬られることもなく、皆、腕を組まされて砲甲板の合間に寝かされていた。

 空港は不夜城となっていたが、夜半には一通りの状況が落ち着いた。それでも療兵院では看病が続けられているし、炊き出しの準備などにセルフィーユの水兵に加えて陸軍や聖堂騎士隊からも人手が出ている。
「アリアンスの方は今日明日でどうにか出来ないとはわかっていますが、兵舎の方を重点的に整備する事にして下さい」
「簡易寝台の発注は既に済ませてあります。
 しかし、数が数でありますし、寝具の方も問題ですな」
「『サウスオール・スター』をまたゲルマニアに差し向けますかな?
 アルビオン行きが延期であれば、乗組員は確保できます」
 リシャールは長官公室の一角で、ラ・ラメーとフレンツヒェン、エルバートとともに、今後の方針を決めるべく会合を持っていた。
 数日中に発生しそうな課題もそうだが、その後もとかく問題が山積みである。
「あちらからも幾らか話を聞いて検分しましたが、『ウォースパイト』と『アーデント』は大破、スループ『グラフトン』は軽く見積もっても中破判定、補給艦『アナステシアス』も後楼に数発食らっております。
 船匠班はアルビオン側にもご協力いただいて頭数で補うにしても、数ヶ月は見なければと難しいかと……」
「補修資材は早期に確保しておきましょうか。
 今以上の値上がりも予想されますけど……ああ、先にラ・ヴァリエールに連絡を入れます。
 義父のところは林業もかなりの規模なので、多少は優遇して貰えるでしょう」
 確かラ・ヴァリエールは材木を川下りさせてリールで売りに出していたはずで、例え高くとも、余所の商人に足元を見られるよりは遙かにましだった。

 夜明け前に会合を終えるともう城に戻る気力もなく、リシャールは空海軍司令部の一室で仮眠をした。流石に緊張の糸が切れたのである。
 早朝、のそのそと毛布から抜けだし、ジュリアンに頼んで持ってきて貰ったビスケットを齧っていると、今度は四人に増えたアルビオン側の代表者が訪ねてきた。慌てて身だしなみを調えたが、略冠を王政府の執務室に置いてきたことを思い出す。
 ジュリアンに先導されて入った長官公室には、代表者だけでなくエルバートも既に待ちかまえていた。
 敬礼を交わして互いに名乗り、椅子を増やして席に着く。
 ここでようやく、ヘイスティングスが『代表者』と名乗った意味がリシャールにもわかった。
 ヘイスティングスはスカボロー脱出時、艦長以下幹部士官戦死後に『ウォースパイト』の指揮権を引き継いだ平民上がりの甲板士官であり、『アーデント』の指揮官もスカボローで掌帆長を命ぜられたばかりの新任海尉、『グラフトン』は艦長不在のまま若い航海長が艦長代理に指名されたという。辛うじて補給艦『アナステシアス』の艦長は生きていたが重傷を負って治療中であり、代わりにリシャールと同年代の士官候補生がこの場に来ていた。
「降臨祭の休戦が明けて約二週間、しばらくは小競り合いを繰り返していましたが、四日……いえ、五日前に敵の大攻勢があり陸軍主力は壊滅、港も外から艦列で封鎖されました」
「戦列艦だけで三十を越えていたかと……」
「戦闘開始半日で司令部が撤退を判断、陸兵の残余は各艦に分乗しました」
 あとは戦列艦を先頭に立てて封鎖していた敵艦列に強引に穴を空け、そのまま主力は敵味方入り乱れての混戦に持ち込み、御召艦となっていた総旗艦『イーグル』が安全圏に脱出するまで時間を稼いだという。
「セルフィーユに来た各艦は、まとまってこちらに脱出したのですか?」
「いえ、運良く途中で合流いたしました。
 『ウォースパイト』は他艦と共に陛下と殿下の座乗された『イーグル』の脱出を支援すべく敵主力と交戦、血路を切り開きましたが奮戦空しく機関不調によって戦列を離れ、半日後『アーデント』に追いつかれました」
「『アーデント』も同様であります。自分も指揮権を引き継ぐ時に、副長よりラ・ロシェールには向かわずセルフィーユに向かえと……最後の命令を受け取っておりました。
 合流後は南南東に進路を取っていましたが、やはり『グラフトン』、『アナステシアス』に追いつかれました」
「『グラフトン』は旗艦『イーグル』の楯になるべく港湾脱出時には旗艦前方に位置しておりましたが、すぐに直撃を受けて脱落、密命通りセルフィーユを目指したのであります」
「『アナステシアス』は徴用商船で当初より戦闘に耐えずと判断されておりましたので、『グラフトン』と同じく『イーグル』の楯を引き受けました。
 ですが元から船足が遅く……旗艦艦列より引き離され、後部に被弾したところで艦長の命令により東南方に変針し、その後この艦隊に合流しました」
 酷い戦闘だったのだなと、リシャールは各々の顔を見渡した。上位の指揮官が戦死あるいは重傷で指揮不能となれば、その場の最上位者が指揮権を引き継ぐのは当たり前だし明文化された軍法なのだが、口で言うほど簡単なことではない。
「方々に逃げ散った艦もありますが、大半は帆をやられたところで切り込まれたか、集中砲火を浴びて沈んだか……」
「敵も知っていたのか、『イーグル』を狙っていたのが丸わかりでありました。
 おかげで見逃されたのかと思います」
「夕闇が迫っていたのも幸運でありました」
「いや、戦力差がここまでありながら、王家のお二人の脱出を成し遂げたのだ。
 貴官らの勇戦に、改めて敬意を表する」
 ラ・ラメーが重々しい口調ながら労い、リシャールも立ち上がって敬礼を施した。
 それを合図に各艦の代表者は帰艦し、残ったリシャールらは集まり始めた荷馬車の列へと向かった。
 負傷者の治療も昨日より行っている。朝食も、リシャールがこの部屋に来る前から配食が始まっていた。
 だが今日は気の重い一日となるだろう。
 ……艦上に安置されたままであった死者を葬る仕事が、生者を待っているのだ。




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