ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第四十三話「援軍と思惑」




 一夜明けて、少し緊張を解いた『ドラゴン・デュ・テーレ』であった。
 随分と東に出たが、こちらは予定通りである。南南東微東から気持ち東よりに真っ直ぐ進めば近いところを、他船との接触を避けて真東に進んでから南西に進路を取るのだ。……結局、一戦を交えることになってしまったが、ロサイスに近い航路よりは幾分ましと考えるしかない。
 朝食を食べ終える頃には、拿捕したコルベット『クライヴ』乗組員の取り調べも順次始まっていた。
「……前の帆柱を折ってそのまま航過反転しました。
 『クライヴ』から灯りが漏れたのは、二本目の帆柱を折ったのとほぼ同時です」
 リシャールには調書が上がってくるのを待つ間に、戦闘詳報を埋めるという仕事がある。リシャールとアーシャの出発時刻やビュシエールが『クライヴ』から漏れた灯光を確認した時刻、アーシャの速度から推定して、海図盤上で小さな駒を動かしては相互に確認を繰り返して記録を取っていった。
「私が下に降りた後は、どうだったんですか?」
「こっそり後ろから近づいて、砲門を開く音を間近で聞かせてやりました。
 こちらも身構えてはおりましたが、艦長が降伏を呼びかけると、すぐに白旗が揚がりましたよ」
「……そんな簡単に?」
 前に空賊フリゲートと戦った時はあれほど苦労したというのに、ずいぶん拍子抜けである。こちらに被害がないのはいいことだが……。
「いや、あの……陛下、帆を折られて動けないコルベットに乗ってるところに重装フリゲートから横付けされる恐怖ってのは、言葉にし難いもんです。熟練の水兵だって、小便ちびっても不思議じゃありません。
 その上、甲板から竜だって睨んでるとくれば、両手か白旗を上げるのがいい艦長ってもんですよ」
「あー……」
 泣きっ面に蜂、四面楚歌。
 臆したと責めるのは簡単だが、状況を入れ替えると、自分でも逃げ出したいだろうなと嘆息する。戦力差は歴然だ。
 同じ勝てない戦なら、被害を最小限に留めるのも艦長の務めですと、ビュシエールは肩をすくめた。
「それに『クライヴ』の艦長とは少し話をしましたところ、やる気がない……と言っちゃ身も蓋もありませんが、あんまり戦いたい気分でもなかったんでしょう」
「それは、どういう……?」
「ロサイス叛乱の折には連絡に出ていて、知らずに戻ったところをフネごと捕らえられたらしいです。
 恭順すれば階級と部下の安全は保障されると元上官やら元同僚に諭されて、あっちに鞍替えしたようですな」
 そこにきて予期せぬ襲撃に拿捕と、『クライヴ』は帆柱と一緒に心まで折られてしまったのかもしれない。
 ジュリアンではないが、少々やりすぎたかと反省する。
 戦闘詳報を記入し終える頃には、敵艦長の取り調べが一通り終わっていた。家名を持つ下級貴族のようで、杖はウォーレン海尉が預かっているものの、監視を兼ねた従卒もつけられているそうだ。
 接見ぐらいはしておくべきだなと呼んでみれば、貴賓室横の小部屋にてジャン・マルク、ウォーレン海尉らが見守る中、連れてこられた敵艦長はこちらを見て驚いているようだった。
「陛下、彼がレコン・キスタ革命艦隊所属コルベット『クライヴ』の艦長、アンソニー・ミドルトン元アルビオン王立空軍海尉であります」
 海尉艦長というやつだなと、リシャールは頷いた。フリゲート以上の大型艦は、海佐以上の士官に任されるのが普通であったが、小型艦は指揮する人数も少なく、若手から中堅の平海尉が出世と経験のためにフネを預けられることが多い。彼も一見、三十前後に見えた。
 縄も手かせもつけられていないが不安げな様子を見せるミドルトン元海尉を前に、調書からの抜粋らしい報告を受ける。
 叛乱の翌日、ロサイスに入港した『クライヴ』はそのまま拿捕され、小舟一隻逆らう意味はないと恭順したらしい。レコン・キスタ革命艦隊へと組み入れられると空軍時代と代わり映えのしない連絡任務を受け、ロサイスを出航してダータルネスへと向かう予定だったという。
 リシャールはジャン・マルクに頷いて、用意していたグラスをミドルトンに持たせた。手づから一献注ぐと声を掛ける。
「調書をまだ読んでいませんので質問がかぶるかも知れませんが……ミドルトン艦長、ダータルネスはもう、レコン・キスタの支配下にあるのですか?」
「はい。
 革命旗さえ揚げておけば、王党派に出会わぬ限り撃たれる心配はない、と……」
 既に貴族派は王党派に倍する空軍戦力を手中に収めていたから、彼の言うことも間違いはないのだろう。
「私はもちろんのこと、我が国の空海軍もアルビオン空軍の指揮下にはありませんが、流石に同盟国として見過ごすわけにはいきませんでしたのでね。
 ……軍艦が所属を表す旗を掲げる意味は、艦長もご存じですよね?」
「はい、もちろんであります」
 うむと頷いて艦長の表情を確かめ、質問を続ける。
「では……連絡任務はよくあることとして、何を連絡する予定だったんです?」
「書類鞄を一つ、預けられました」
 ここでウォーレン海尉が片手を挙げて、発言を求めた。
「陛下、こちらで中身を確認致しましたが、水兵に支払う給与の新たな規定や補給計画を今月中に提出するよう求める命令書と言った、組織の維持に必要ではあっても緊急性のない書類ばかりでありました。
 幾つかには貴族派の指揮官個人の名がありましたので、無意味というわけではなかったのですが……」
「次の作戦や、危急の事態に繋がるようなものはなかったということですか?」
「はい、その通りであります」
 あったらあったで困るのだが、やはり単なる革命ではないらしいと首肯する。勢いだけで騒ぎを起こした革命軍が、決起後数日で給与規定など用意しているはずがない。
「後でそちらも見せて貰いましょうか。
 ところでミドルトン艦長」
「……なんでありましょうか?」
「ロサイスの様子はどうでした?
 特に陸軍が集まっているかどうかは気になるのですが」
「徴用商船らしいフネから時々陸兵が降りてくることはありました。
 ですが、港が大騒ぎになる規模ではなかったように思います」
「そうですか、ありがとう。
 しばらくは狭いところに入って貰うことになりますが、気落ちしないように」
「はい、ありがたくあります」
 ワインを最後の一滴まで飲み干して、ミドルトンは敬礼した。

 曳航作業のお陰で半日ほどを余計に費やした『ドラゴン・デュ・テーレ』は、スカボローを出航した三日後、ラ・ロシェールへと到着した。
 ラ・ラメーは、臨戦態勢とは言わないが多少は緊張が見え隠れしている軍港区画に、直接乗り付けるようだった。リシャールとしては約束もなしに他国の軍港に入っていいのかなと思わないでもなかったが、水兵に復号された手旗信号の内容が押し問答もなく入港業務のやりとりに終始している様子を見ると、向こうも問題視していないらしい。
「陛下、自分は艦隊司令部に顔を出してきます。
 ……この様子じゃあ甥も多分、情報不足でやきもきしておるでしょう」
「私も行きます」
 上陸は逮捕以来だなと連絡通路を眺め、リシャールはやれやれと頭を振った。
 桟橋に着けると緋色の絨毯こそなかったが、以前同様下にも置かぬ様子で士官と言わず水兵と言わず敬礼を捧げられるラ・ラメーについて歩く。ウォーレン海尉も同行しているが、彼は叛乱後にアルビオン側が出した最初の急使でもあった。
「艦長、私は挨拶の後、そのままアルビオン艦に向かいます。
 『クライヴ』乗員の引き渡しもありますので、トリステインとのことはお任せしますね」
「はい」
 トリステイン空海軍の司令長官ラ・ラメー伯爵は、こちらのラ・ラメー艦長の甥である。
 そのラ・ラメー長官と艦隊司令部は歓迎こそしてくれたが、やはりアルビオンの内乱に頭が痛い様子だった。長官はウォーレン海尉から手渡された親書と機密書類を難しい表情で受け取り、二言三言気遣ってから艦長に向き直った。
「ウォーレン海尉の手前、憚りはあれど……言葉を飾るわけにもいきませぬ。
 ……叔父上、アルビオンの王立空軍は往事の四半分に戦力が落ち込み、敗軍同然と報告を受けております。
 実状は如何でしたか?」
「それ以下だな。
 ロンディニウムも奇襲を受けたし、すぐに動ける戦列艦は十五もない」
「なんと……」
「そうだ、そちらにレコン・キスタの情報はどの程度入っている?
 こちらのそれと、つき合わせておきたい」
 人払いがされるのにあわせてリシャールとウォーレンも退出したが、道中で参謀達から質問攻めとなったのは仕方あるまい。長官だけでなく、皆情報に飢えているのだ。
 
 続いてもう一仕事と、ウォーレン海尉と共に一番大きなアルビオン空軍籍の戦列艦に赴く。こちらの小集団はロサイスからの脱出組で、叛乱騒ぎで中大破してしまい、修理の完了まではこちらに足止めになる様子だった。
「おお、そうか! 討伐艦隊が……。
 海尉、ありがとう」
「艦長こそ、こちらにフネを退避されたのはお見事です」
「うむ。
 しばらくは動けぬしトリステインにも迷惑を掛けるが、修理完了後は本国に戻ることを誓おう」
 アルビオン側のまとめ役であった戦列艦艦長はウォーレンに任せて捕虜を委ね、こちらはコルベット『クライヴ』をトリステイン空海軍に預けて修理を依頼する。アルビオン側は元々アルビオン空軍艦である『クライヴ』を見て複雑そうだったが、これは両国で先に結ばれた条約もあるので、勝者の権利として認めて貰うより他はない。
 それらラ・ロシェールでの予定を全て終えて『ドラゴン・デュ・テーレ』に戻ると、既に出航準備が始まっていた。
 しばらくして司令部から戻ってきた艦長と、指揮所で荷役を見守りながら手すりにもたれ掛かる。
「そう言えば艦長、『クライヴ』ですが……どのぐらいに見積もります?」
「そうですな……。
 全長二十メイルの二本マストに六リーブル砲が四門、航海日誌を見た限り年式は新しいようですから、四万あたりが妥当かと」
 船足はそこそこ速いが船腹が小さく、商用に向かないことにかけてはフリゲート以上のコルベットの中でも、『クライブ』は一番小さい方だった。だが国内の警備やちょっとした用事に使いやすいし、現在あるフネのどれよりも運航経費が安いはずで、空海軍で上手く使い分けてくれるなら売り払わなくてもいいだろう。
 それでも困り事はやはり、ある。
「……意外と高くつきました」
「陛下の取り分も含まれておりますから、そうお気を落とされずに」
 セルフィーユ空海軍ではトリステインに倣い、拿捕した艦の評価額の一割を規定の割合に従って指揮官、艦長、士官、乗員で分配することになっていた。
 幸いにして公海上での拿捕で、アルビオンには私掠税を支払わなくて済む。しかし四万エキューの一割で四千エキューが空海軍の予算、つまりは巡り巡ってリシャールの懐から出ていくことになる。四千エキューなら日本円で一億円前後、これが『各個人』に対して支払われるのだから、気楽に言えたものではない。
 このうちの二割五分は総指揮官としてアーシャで参戦したリシャールの手元に戻るが、大した慰めにはならなかった。たぶん、壊したマストの修理費用で消えてしまうだろう。年始に決められた空海軍の予算は、あくまでも通常の運航と将兵の給与、維持訓練の費用の為のもので、正直なところかつかつなのだ。
「捕まえたのが戦列艦だったら、私はベッドの中で人知れず泣いていたかもしれませんね」
「陛下に涙を流させるのは忍びませんな。
 今後拿捕する艦船はなるべくならフリゲート以下に限るよう、空海軍全軍に通達しておきましょう」
「ええ、是非ともお願いします」
 以前と同様にビュシエール副長を連絡役に残して『クライヴ』を任せると、『ドラゴン・デュ・テーレ』は半日と休まずトリスタニアに向けて出航した。

 トリスタニアまでのトリステイン国内航路で流石に問題が起きるはずもなく、翌朝無事に入港すると早速公邸と商館にも全員の無事を知らせ、王宮に訪問を打診した。ジェームズ王より受けた連絡任務も疎かには出来ないし、これですぐ国許にも伝書フクロウが飛ぶだろう。
「ウォーレン海尉はどうされます?
 トリスタニアでお仕事のご予定がないなら、うちの公邸に泊まって行かれますか?」
「お言葉に甘えさせていただきたく思いますが、その前に大使館に顔を出してきます」
「了解です」
 ラ・ラメーにフネを任せて、リシャールは馬車で公邸に入った。流石にアーシャで直接乗り付けるのは礼を失している。
 窓から見えるこちらの市中は普段通りで、噂話にぐらいはなっているかもしれないが叛乱に怯えたりしている様子はない。対岸の火事というあたりだろうと、想像はつけられた。
 だがトリスタニア王宮の反応は素早く、公邸に着いた直後、差し向けられてきた騎士の一隊が到着したほどである。
「お久しぶりであります、リシャール陛下。
 お迎えに参上いたしました」
「ド・ゼッサール卿もご苦労様です」
 旧知の魔法衛士隊長が自ら迎えに来るあたり、出世したはいいが相手にも気を使わせているらしい。
「姫殿下もマリアンヌ様も、大層心配しておられましたのです」
「それは申し訳ないことを……」
 馬車はリシャールから見ても急いでいる様子で、あっと言う間に王宮へ到着すると、ド・ゼッサールが露払いをして誰何もなしに奥の間へと通された。
「陛下、ご無事でよろしゅうございました」
「良かったわ!
 連絡がないから心配してたのよ!」
「お二方には大変ご心配をお掛けいたしました」
 挨拶も前置きもすっ飛ばして立ち上がった二人の様子に、本気で心配されていたのは間違いないと、ここばかりはリシャールも素直に頭を下げた。……国に帰ればもっと大変だろう。
 お側付きのアニエスとも目を見交わし、互いに頷く。こちらも順調のようだ。
 ド・ゼッサールとアニエスが退出すると、リシャールは早速切り出した。
「まずはこちらが、ジェームズ陛下より直接お預かりしたマリアンヌ様宛のお手紙でございます」
「まあ、それでお国より先に立ち寄ってくださったのね」
「はい。
 そしてもう一つ、こちらはウェールズ殿下より託された……」
 そちらは素早く奪い取られてしまったが、マリアンヌとともに苦笑するに留める。アンリエッタの気持ちはよくわかっていた。
「……マリアンヌ様、想像でしかありませんが、大事なことが書いてあると思います。
 どうぞ、私には遠慮なくお読み下さいませ」
「……そうね」
 しばし沈黙が流れたが、リシャールは何から語ろうか思案する時間に宛てることにした。
 四半刻ほども経過しただろうか。
 マリアンヌは小さく溜息をついて手紙を畳み、アンリエッタに声を掛けた。
「アンリエッタ、ウェールズ殿下は何と仰っていたかしら?」
「はい、……『今は少し苦しいが、心配しなくてもいい』、と」
 ほっとした様子のアンリエッタに、何と声をかければよいものか。マリアンヌも軽く微笑んでいる。
「そう、よかったわね。
 ……ジェームズ様は、リシャール陛下にお料理をご馳走になったと書かれていらしたわ」
「あら」
「こっそりと覗きに行ったら、司厨長といっしょに鍋を振っていらして、ずいぶん楽しそうだったんですって」
 あの方はこの状況で何を書いてらっしゃるんだと思ったことがそのまま面に出てしまったらしく、母娘は二人はくすくすと笑った。
「でも、顔を見たら安心したわ。
 わたくし、政務の途中だったの。リシャールはもう少しお母様とお話ししていらしてね」
「お待ちなさい、アンリエッタ」
「お母様?」
「宰相殿をお呼びした方が早いわ。
 あの方も陛下とお話しすれば、少しは心労がとれるでしょう」
 マリアンヌはふうと息を吐いて、椅子に沈み込んだ。何かが……限界だったらしい。
「お母様、どうされたの?」
「マリアンヌ様!?」
「ええ、ええ、大丈夫。大丈夫ですわ。
 ……陛下」
「はい?」
「アルビオンはもう、駄目なのですね?」
「……えっ!?」
「マリアンヌ様……」
 やはり、面子を立たせるためだけに預けられた手紙ではなかったらしい。
 アンリエッタは真っ青な様子で、重い表情の母とリシャールを見つめた。

 しばらくして奥の間に呼びつけられたマザリーニは相変わらず疲れた様子だったが、しゃんと背筋を伸ばしてリシャールの無事を言祝いだ。
「宰相殿、挨拶は後でもできるわ。
 まずは……これを読んでいただけるかしら」
「失礼いたしますぞ」
 私信であろうそれを、マリアンヌは躊躇いもせず宰相に手渡した。目を通した宰相も、やはり大きく息を吐いた。
「お母様、ジェームズさまは何と書いていらっしゃったの?」
「……『トリステインの方こそ今が一番大事な時、たとえロンディニウムが陥ちようと、絶対に援軍は出さないように』。
 ……そう仰られているの」
「まさか!?」
「……姫様、これはまったくの事実であります」
 トリステインは援軍を出す前に艦隊を送り込まねばならないが、レコン・キスタと正面から殴り合うには数が少なすぎる。乱を長引かせて時間を稼ぐのも悪くないが、強力な援軍を組織すれば国力の疲弊を伴うことも間違いない。
 また中途半端に援軍を出したところで、これ幸いと王党派ともども食い散らかされるのが落ちであろう。手ぐすね引いて全力で待ちかまえる方が、同じ戦力でも効果は高い。
 それにしても、正面切って援軍を断るとは……。
 リシャールに手紙を預けたあの時既に、老王は完全に腹を括っていたのだ。
 諦めたのではない。匙を投げたのでもない。
 トリステインが準備を調える時間を、身を挺してつくろうとしているのだとわかる。
「宰相殿、よろしい?」
「はい、マリアンヌ様?」
「わたくしは政治とは縁のない身、ですが一つだけ」
「なんなりと」
「ジェームズさまはこう仰っているけれど、トリステインの誇りもジェームズさまのお気持ちも、何もかもを考えないとすれば……それでもトリステインは援軍を出さない方がよいかしら?」
 マザリーニは息を呑んで小さく聖印を切り、居住まいを正した。
「……いえ、それらを含めましても、援軍は出さぬことが最良かと存じます」
「宰相!」
 アンリエッタが怒り心頭で大声を出したが、マザリーニは静かに首を振った。
「なにしろ……我が国以外の国は全て、援軍を出し渋りましょうからな」
「まさかそんな!?
 諸国会議で決まったばかりなのに……」
「既に我が国だけで支えきれる状況は、通り過ぎております」
 マザリーニは当然のように、ジェームズ王と同じことを口にした。彼もまた、それが常識たる外交上の怪物なのだと、リシャールは理解した。
「……手紙をお預かりした際、ジェームズ陛下もその様に仰いました」
「リシャール……」
「左様にございますか……」
 アンリエッタは希望が潰えたように、顔を両手で覆ってしまっている。マザリーニはマリアンヌが慰めているのを横目に、リシャールへと視線を向けた。
「リシャール陛下はあちらの現況、どうご覧になられましたか?」
「陸はいまひとつ情報が入ってきませんでしたが、相当数の諸侯、それも何割という数え方が出来るほどの人数が叛乱に加わっているものと判断しています。
 空の方は……正直申し上げて、トリステイン空海軍とアルビオン空軍の残り、これを全て合算してもレコン・キスタ革命艦隊は数でも質でも優位に立っておりましょう。
 ……数年掛からず、クロムウェル家を新王家とする新生アルビオンが誕生するのは、ほぼ確実かと思います」
「……そうでありますか」
 ありがとうございますと再び聖印を切るマザリーニに、リシャールは付け加えた。
「トリステインはどうされるご予定だったのですか?
 セルフィーユはトリステインにご迷惑をかけぬ限りに於いて、アルビオンを支援するつもりです。
 国が小さすぎて大勢に影響を与えられるほどの効果はないでしょうが、アルビオンの信用を失うことは出来ませんので……」
「……お覚悟をなされたのですな」
 覚悟とは少し違うかなと、リシャールは小さく微笑んだ。
 アルビオンに対して義と礼を失せず、同時にトリステインから見捨てられない為には、他に方法がなかったのだ。
「……帰りがけに小さなレコン・キスタ艦を一隻、捕らえてきましたよ」
「なんと!?」
 当のレコン・キスタが何というかは知らないが、トリステインも他の大国もレコン・キスタを国とは認めていないからこそ、抜け道もある。今ならまだ、アルビオン空軍の連絡士官を同乗させていた故に無視も出来ず、法制度上は空賊同然の叛乱軍を仕方なく狩ったと言い訳もできる……かもしれない。
「リシャール陛下、トリステインはどちらにしても、軍をまともに動かせる状態ではありませぬ。
 ……準備だけは進めておかねばなりますまいが、『諸国会議の影響』もようやく排したばかり、どこまで可能かも含めて、これから検討致しますとしかお答えを返せませぬのが情けないところです」
 諸国会議の影響……つまりは、セルフィーユの独立に関することだ。
 リシャールは、黙って頭を下げた。
「ご心配召されますな。
 姫様やや優勢の両者痛み分けですが、一応の決着は見ましたし、それどころではなくなりました故に、もうこの問題は過去のものと出来ます。
 しかし……こちらはその後が問題ですな」
「その後?」
「幸運が重なって、トリステインがレコン・キスタをはね除けたとしましょう。
 実際はガリアかゲルマニアを焚き付けて援軍を出させるのですが、これは無論、トリステインが解決せねばならぬ問題です」
 アルビオンの滅亡と、その後のトリステインとレコン・キスタの戦争を、マザリーニは既定の事実として扱うような口振りで話した。
「その先、恐らくは主人亡き後のアルビオンを食い散らかす為の集まりですが、諸国による連合が組まれるはずです」
「そんな……」
「姫様、援軍が来なければ、我が国も同様に食い散らかされます。
 ……アルビオンと同様に、進軍の理由が立ってしまいますからな。
 レコン・キスタを追い出した国土の一部か半分か……あるいは全部に、ガリアかゲルマニアの旗印が立ちましょう」

 レコン・キスタは国を滅ぼした悪い奴らだ、我らは義によって立つぞ、それそれやっつけろ、やっつけた後は活躍あった我らにさあ恩賞を賜い給え! ……と言うわけである。
 酷い話だが、ある意味正しいのが救えない。
 どこの誰が、理由もなく隣国の失墜を止めようとするものか。

 ああ、そうかと、セルフィーユの未来図も同時に思い浮かべる。

「リシャール陛下、姫様、マリアンヌ様。
 我が国はどれほどの代価を請求されようと、援軍を引き出さなくてはなりません。
 ……でなくては、自らを捨て石とされるテューダー王家に申し訳が立たぬどころか、トリステインが滅びます。
 しかしながら今すぐ援軍を引き出そうとすることもまた、叶いませぬ。時期が早すぎてはアルビオン同様、空の手形を切られて見捨てられましょうな」

 壊れた馬車は橋の上、進むも地獄、引くも地獄。
 ……セルフィーユもその馬車に乗っているのだ。
 トリステインが滅びてなお、セルフィーユだけが残るはずもない。

 その後も会談は続けられ、リシャールが王宮を辞去した頃には日が落ちていた。




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