ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第四十二話「遭遇戦」




 ロンデイニウムと別れを告げて空路三日、アルビオンの討伐艦隊と共に『ドラゴン・デュ・テーレ』は無事スカボローへと到着した。
 艦列は航路を大きく外れて東に変針、サウスゴータを迂回したので接触すらなく、前哨にフリゲートを配置しての強行軍に小競り合いぐらいはあるだろうと身構えていたリシャールには拍子抜けだった。
 スカボローの市街も若干殺気立っているものの、ロンディニウムほど暗い雰囲気はない。近い位置での遭遇戦こそ幾度か起きていたが、トリステイン方面の航路は平常そのもので、スヴェルの月夜を数日後に控えて商船が若干増えている程度だという。現在はロサイスの状況が不明瞭なため、こちらにフネが集まっているらしい。
 『ドラゴン・デュ・テーレ』も今はまだ討伐艦隊に混じり、桟橋に横付けて仮泊地では十分に運び込むことが出来なかった風石の補給に時間を使っている。気を使われたのか、風石は空軍の備蓄分から回されていた。
「とりあえず、補給に半日弱というところであります」
「問題はその後ですね……。
 早い方が安全ですか?」
 帰国は遅れているが今更で、数日なら待っても良かった。それにこちらは元々、風石の消費を惜しんで月夜を待つ必要はない。単独なら船足は速いが待ちかまえてられて囲まれれば苦しいところで、多くの商船に紛れる方が安全かどうか、その点が問題だった。

「ともかく、挨拶はしておきましょうか」
「そうですな」
 リシャールがラ・ラメーを従えているのか、ラ・ラメーがリシャールを伴っているのか微妙なところであるが、補給はフネに任せて先触れを走らせ、旗艦にある討伐艦隊司令部へと向かう。艦長従卒のジュリアンがお供に着いてきているが、おっかなびっくりで五歩ほど後ろを歩いていた。
「……ウェールズ殿下じゃあありませんが、溜息が出るのもしょうがありませんな」
「……ええ」
 『ドラゴン・デュ・テーレ』と共にスカボローに到着した艦隊は戦列艦九隻、フリゲート十四隻、その他十余隻。
 先月末ロンディニウムにあって稼働状態だった艦艇のほぼ八割が、この艦隊に参加していた。
 リシャールから見ればずいぶん立派な艦隊だが、往事に較べれば小艦隊と言う他はない。残る戦列艦のうち、御召艦任務に就くことが多い『ヴァリアント』と、同型艦でウェールズの乗艦に指名されている『ヴィジラント』は王都の盾に残されており、他は修理中であった。偵察に防備にと、足りない分は竜騎士隊が補う手筈になっており、サー・ランズウィックは忙い様子で挨拶もしていない。
 本国艦隊の司令部は長官殺害後、副司令官がレコン・キスタ革命艦隊司令官を名乗って掌握している。幕僚はどうなったのかわからないが、死んでいなければ鞍替えしたと見るべきだった。ある意味、臨時に編成されたこの討伐艦隊こそが、現在のアルビオン空軍『本国艦隊』である。
 同じ様なつくりの戦列艦ばかりで見分けがつきづらい中、将旗が掲げられている討伐艦隊旗艦『デファイアンス』のそれを目印に探して歩く。……セルフィーユでは長官旗どころか王旗の用意すら調っていないが、それはともかく。
「あちらですな」
「……入港したときと位置が変わっていますね?」
「入出港に良い位置と荷役に良い位置が異なる場合、よくあります。
 出航即時待機で有事に備えるフネと補給をするフネで、二直の交代を組むわけですな」
「ある意味、贅沢だなあ……」
「うちは桟橋の方が余っておりますからな」
 現在はフリゲートを中心とした艦隊の半分ほどを周辺の警戒とロサイス方面への強行偵察に出しており、主力の戦列艦と数隻の小艦艇のみが桟橋で帆を休めていた。
「失礼ながら、職責によって誰何させていただきます!」
「セルフィーユ王国国王、リシャールです」
「同じくセルフィーユ王国空海軍中将男爵、ラ・ラメー」
「ご協力ありがたくあります!
 ご来訪はお伺いしております、どうぞこちらへ!」
「ご苦労をかけます」
 きびきびとした哨兵の動きに流石は旗艦、練度も士気も高いなと頷いて、型どおりのやり取りを済ませる。リュシアンは哨兵に付き添われ、兵員室へと案内されていった。
「リシャール陛下がご到着なさいました」
「お通ししてくれ」
 『デファイアンス』の作戦室では、艦隊司令リンドグレーン大将以下参謀らが敬礼でリシャールらを迎えた。
「陛下、出航前に続きこちらよりご挨拶にも伺うべきところ、ご足労戴きまして誠に恐縮であります」
「いえ、現状は理解しております。
 艦隊行動に併せての護衛任務お疲れさまでした、リンドグレーン提督」
 作戦行動中の艦隊司令部など邪魔をせぬ方がよいのは当たり前、素早く護衛解除の手続きと、連絡士官として預かる数名との顔合わせを済ませる。
 ラ・ラメーが風石機関の調子が悪く、午後以降いつになるかわからないが修理完了次第出航すると告げると、提督はにやりと笑って無事の航海を祈ると返答した。……仮泊地では『ドラゴン・デュ・テーレ』の隣に『デファイアンス』が停泊していたので、こちらがじっくりと整備を済ませて完調状態であることをリンドグレーンは良く知っている。
「王立空軍司令部海事課所属、フレデリック・ウォーレン海尉であります。
 セルフィーユまで便乗させていただきます」
「歓迎します」
 彼らを伴い、短く挨拶を交わして『デファイアンス』を後にする。
 規模の小さなセルフィーユの空海軍では司令部業務に統合されているが、海事課は慣例に従って海図と呼ばれる空路図の更新と発行、航路統制、気象情報、港湾施設での臨検などを一括して管理監督し、一般的な航路業務を預かる部署であった。空海軍も平時は航路に沿って航行するし、必要な情報は軍の広報を通じて公表される。
「ラ・ラメー閣下、出航はいつ頃のご予定でありましょうか?」
「補給完了後、夕暮れまでは半減休息、その後は未定だ。
 所用があるなら諸君もそれまでに済ませておくように」
「了解であります」
 彼と彼の部下はセルフィーユにやってくるが、他にも募兵に携わる軍官僚や、物資の買い付けにトリステインへと渡る主計課員など、大陸各地へと散らばる総勢十名ほどの一団をトリステインまで預かることになっていた。

 補給の終了後、ラ・ラメーは夕刻までの両舷休息を下令して数人を伴うと、港のあちこちで情報の収集をはじめた。
「陛下、水兵さんに頼んだ買い出しは終わっています」
「じゃあ……頑張ろうか」
「はい」
 リシャールは艦内に残り、厨房でジネットを助手に夕食会の準備である。フェリシテの方は男手代わりに貸し出された官僚団を指揮して、従者ともども模様替えに追われていた。
 戦時とは言え、同盟国の士官を乗せた初日の夕食が、国王と共にビスケットを食しておしまいというわけにもいかない。これも一つの外交、友好を深める意味でも多少は無理をしておくかと、リシャールは袖まくりをした。
「何をお作りになられるのですか?」
「パンは買ってきて貰ったし、せめて汁物と主菜だけでもと思ってね。
 香草を巻いた肉に炒め野菜のソース、汁物の方は『いつものやつ』を具沢山にするだけでずいぶんましになるはずだよ」
 手だけは止めずに、やっぱり料理人ぐらいは必要だったと嘆息する。切りつめも、度を過ぎると手間になって帰ってくるものだ。
「それにしても……」
「はい、陛下?」
「……ごめん、独り言」
 本当ならセルフィーユにも無事を知らせ、ついでに指示の一つでも出しておきたいところだったが、アーシャに乗って一人帰るのも憚りがあるし、彼女だけを送り出すと万が一の場合に不安があった。乗員が少なく航行に支障はなくとも元より戦闘力に難のある『ドラゴン・デュ・テーレ』、ラ・ラメーは頼りになるとは言え、フネを守るにも逃がすにも彼女は心強い相棒となる。
 国許に心配をさせているのはわかっていても、無理をするよりは安全確実の方がいい。伝書フクロウ屋は店を開けているが元より高度差のある大陸間を渡れなかったし、アルビオンは竜使を貸してくれと言い出せる雰囲気ではない状況であった。
「ジネットは料理も得意だったんだね」
「いえ、あんまり……」
「その割に手際がいいなあ」
 リシャールよりもずっと手早くタマネギを刻む彼女に、流石は女の子と賞賛を送っておく。
 肉の方は下ごしらえを済ませれば、香草の味が馴染むよう放置するだけだった。汁物は具材を放り込み、後は火の番を彼女に任せておけばいい。いまからなら、ちょうどいい頃合いになるだろう。
「じゃあ、そちらは頼んだよ」
「はい、陛下」
 料理の準備が整えば、今度は出航前に持ち込んだ土で食器を作らねばならなかった。艦内には落としても割れない軍用の金属食器は沢山あるが、饗応に出すわけにはいかないのである。

 陽光が傾いて青紫になる頃、『ドラゴン・デュ・テーレ』は予定通り夕闇に紛れてこっそりとスカボローを後にした。並んでいたスループの乗員らが帽子を振ってくれているが、舷側と桟橋に水兵がずらりと並んでの見送りはない。
「長い旅行になりましたな」
「ええ」
 フネはラ・ロシェールへと直行する航路は取らず、アルビオンの領空を出て東の何もない空域へと迂回する。その後は真っ直ぐに南下して、トリステインの沿岸を目指す。手紙の配達という連絡任務があるからには、セルフィーユより先にトリステインへと向かうことは最初から決まっている。
 航路については集めてきた情報からラ・ラメーが判断を下し、リシャールも頷いていた。レコン・キスタと出くわす可能性が少しでも低いなら、それに越したことはない。
「さて陛下、行きますか」
「そうですね」
 港が遠ざかり夕闇が暗闇になると、リシャールはラ・ラメーと共に後楼の露天指揮所を降りた。
 会食と言うには少々心許ないが、連絡士官たちを歓迎する意味も込めて、小さな夕食会を催すのである。
「では、私は厨房を見てきますので」
「はい。
 小官は予定通りに進めておきます」
 貴賓室へと『立ち寄る』前に、リシャールは下層砲甲板の後部にある厨房へと向かった。
 船室は明るいが廊下も甲板も消灯、窓は全てカーテンか遮蔽戸が降りていて、灯火管制が敷かれている。こっそりと逃げ出すのに明るいままでは、どうにもしまらない。もっとも、雲も出ているが月も星も出ているから、多少は目立たないと言うあたりでしかなかった。
 今日の歓迎のホスト役は艦長であり、リシャールがラ・ラメーに采配を預けたという型式になる。国王が招くより招待する方もされる方も敷居は低く気楽な一席となるが、リシャールは『たまたま』通りがかって声を掛けるという筋書きになっていた。無論、招待される側もそれを知っていたし、リシャールの席も最初から用意されている。
 最近は本音と建て前の使い分けが酷いなと苦笑せざるを得ないが、表看板の通り四角四面に物事を勧めると自分も辛いし周囲もちょっとした騒ぎになったから、不本意ながら労力と成果の平衡を取るのだという言い訳を自分に言い聞かせていた。

 ジネットらと共に料理が乗った皿を幾度も送り出して一仕事を終えると、リシャールも前掛けを外して身だしなみを調えた。
「いってらっしゃいませ」
「後かたづけをよろしく」
「陛下、失礼いたします!」
 それを遮るようにして、厨房に水兵が駆け込んできた。敬礼を捧げられる。
「どうかした?」
「はい、アーシャさまがしきりに鳴いておられます。
 ……どうしましょうか」
「……なんだろう?」
 食餌は既に運んだはずだし、不用意に騒ぐアーシャではない。
 ともかく先に済ませるかと、リシャールは上甲板へと向かった。

 指揮所前では困った顔のビュシエール副長が、アーシャの傍らに立って腕組みをしていた。
「きゅいー!」
「陛下、お願いします」
「どうしたの、アーシャ?」
「きゅい!!」
 リシャールを見つけると、彼女は一際大きく鳴いた。近づけばかぷりと左腕を噛まれる。
「陛下!?」
「……大丈夫。甘噛みです」
「きゅ」
 アーシャはリシャールの左腕を離すと、真っ直ぐに前方を見据えた。
 ……何かいるらしい。
 ビュシエールもつられて前方を見ていたが、彼にもわからない様子だった。
「副長、少し空に上がって機嫌を取ってきますが……一応、前方注意で願います」
「は、了解であります。
 アルビオンの領空は既に出ておりますが、お気をつけ下さい」
 戦闘準備を喚起しておくべきか迷ったが、アーシャとリシャールの様子にビュシエールも何かはあると思っているようだった。単に航路を外れたフネ……あるいは、別の『何か』がいるだけの可能性もあるのだ。確かめて、とっとと戻ればいいだろう。
「アーシャ、行っていいよ」
「きゅい!」
 アーシャはふわりと右舷に身を躍らせると、そのまま前方へと風を切った。幸い、いつぞやの空ほどは寒くない。
 十分に『ドラゴン・デュ・テーレ』から離れると、アーシャが口を開いた。
「リシャール、フネがいる」
「教えてくれてありがとう、アーシャ」
 やっぱりそうかと、リシャールは頷いた。
「フネは大きい? 小さい?」
「いつものフネよりは小さいと思う」
 彼女が口にするところの『いつものフネ』は『ドラゴン・デュ・テーレ』、『小さい方のいつものフネ』がトリスタニア行きの『カドー・ジェネルー』である。
 アーシャは真っ直ぐにフネを目指しているようだが、リシャールには存在すらわからなかった。
 ……あちらも灯火管制をしているのだろうか?
 だとすれば第一の候補はレコン・キスタ艦、第二の候補はアルビオン艦である。この両者は少々遠いこの空域にも、哨戒や偵察に出る理由があった。反対に商船の可能性は低いし、他国のフネである可能性は更に低い。
「どうやって確かめるかな……」
「それはアーシャにもわからない」
「……だよねえ」
 月も出ているので、不用意に近づいては発見される可能性も高かった。
 しかし確かめもせずに、こちらから先手というのも拙い。間違えていたとき、言い訳に困る。

 これは解釈の難しいところだが、セルフィーユは王党派に協力しているのではなく、あくまでも同盟を結んだアルビオン王国に対しての協調路線をとっていた。
 但し、レコン・キスタはアルビオン王国から間違いなく叛乱軍と規定されており、海賊空賊と同じくセルフィーユの軍艦がアルビオンの領空内でレコン・キスタ艦を襲ったとて、取り決めた私掠税が収められるならば法規の上では問題とはならなかった。心情的には元王立空軍の艦船で複雑な思いはあるかも知れないが、両国の関係は基本的には変わらないし、側面からの援護射撃と見ることも出来た。
 しかし内戦への本格的介入ともなれば、問題がある。
 テューダー王家に代わって近日中にアルビオンの主人になると予想されるレコン・キスタとは、正しくは戦争状態にはないのだ。
 その後の両国関係まで考えるならば、セルフィーユはレコン・キスタに対して直接的な戦闘を交えるべきではない。例え空中大陸が戦乱で疲弊したとしても、国力が違いすぎる。適度に誤魔化しが利くところで、この争いから手を引くべきだった。
 しかし、もう一つの考え方も無視は出来ないのである。
 出来たばかりの小国が、世話になっているアルビオン王国を見捨てて簡単に日和見をしては、国としての信用を落とすことは確実だった。評判ぐらいしか国際社会での売り物がないセルフィーユでは、凋落の遠因にもなりかねない。
 更には……こちらの方が重要かも知れないが、セルフィーユの屋台骨を支えているマスケット銃の納入先が即刻失われ、更にはトリステインから見放されることさえ考えられた。特にアルビオンに対しては強い思い入れのあるアンリエッタが鼻白むような、申し開きの出来ない行動は間違っても選択できない。トリステインにまで見限られれば、セルフィーユは確実に滅亡する。
 ついでに言えば、アルビオンを平らげたレコン・キスタは恐らくトリステインにも攻め込むはずだった。そうなれば、当然セルフィーユは参戦せざるを得ない。義父の言葉ではないが、彼らは『聖地』とやらを目指している。通り道にあるトリステインが滅びると、セルフィーユは自動的に降伏を余儀なくされるだろう。
 国の行く末をどちらに賭けたものか、正にジェームズ王から聞かされた峠の分かれ道の話そのものである。
 ……いや、アルビオンの数手先で、トリステインと同時に詰んでいる可能性さえ見えそうだ。

 しばらく考えていたリシャールだが、ともかく確かめようとアーシャに声を掛けた。
「アーシャ、静かに近くを通り過ぎることは出来るかな?
 できれば、月とは反対側から近づいて欲しい」
「できると思う」
「じゃあ、お願い。旗が見たいんだ」
「うん」
 青い空軍旗ならばそのまま素通り、三色の革命旗なら……さて、どうしたものか。
 鞍へと身体を押しつけて、ぐいっと増速したアーシャの勢いに耐える。
 しばらくすると、暗い中にもフネらしい影が見えてきた。
 あちらにだって見張りぐらいはいるだろうが、幸い、ここまでは気付かれてはいないようである。アーシャの体色は濃緑で、暗闇では見つかりにくい。
 どうかこのままと心の中で念じながら、リシャールはマストの先端と艦の後楼に注目した。
 フネの形はずいぶんはっきりと見えてきたが、二本マストに縦帆と横帆が混ざる典型的な小型艦である。
 だが月の明かりでは、旗色まではわからない。
 もう少し、もう少しと目を凝らす。
「……!」
 辛うじて見えたその旗は、三色の旗だった。
 ほんの一瞬だけ、目を瞑る。
「敵襲! 敵襲!
 竜騎士だ!」
 流石に気付かれた。
 叫ぶ見張りにリシャールは腹を括った。このフネと……いや、レコン・キスタとどのみち戦になるならば、結果は変わるまい。
「アーシャ! 帆柱に『震える息』!」
「きゅい!」
 空中でくるりと身を翻したアーシャはそのまま突っ込んで、前のマストを根本から吹き飛ばした。
「うわあああああああ!?」
 見張り台にいた誰かの声だろう、悲鳴が小さく尾を引き、やがて消えた。この高度ではメイジでもない限り助かるまいが……もう、今更だ。こっちだって国の未来を賭けている。
 敵艦の各所が騒がしくなり、あちこちの小窓から灯りが漏れ出した頃には、アーシャはもう一本のマストもへし折っていた。後楼に寄り掛かるようにして、不格好に破れた帆布と三色旗がたなびいている。これでもう、動けまい。
「アーシャ、一旦フネに戻ろう」
「うん」
 足を止めてしまえば、あとは『ドラゴン・デュ・テーレ』の方が上手くやるだろう。
 
「陛下!」
 アーシャに引き返して貰うと、『ドラゴン・デュ・テーレ』は思ったよりも近くに来ていた。
 後甲板に降りたリシャールに、後楼指揮所から身を乗り出したビュシエールが叫ぶ。
「陛下! こちらでも艦影確認しました!」
「小型艦で三色旗、レコン・キスタです!
 帆柱を折ってきましたから、後は頼みます!」
「了解!
 灯火管制はそのまま、戦闘配置を発令!
 伝令! 宛、貴賓室! 『敵艦見ゆ』!」
「復唱! 宛、貴賓室! 『敵艦見ゆ』!
 伝令出ます!」
 勢い良く走り出した水兵を見送ると、程なくラ・ラメーが現れた。
 三色の旗を確認したので帆柱を折ってきたと告げると、それだけで艦長は理解したようだった。にやりと凄まれる。
「砲員を前部と左舷に寄せろ。砲門はまだ開くな」
「了解!」
 その間に、『ドラゴン・デュ・テーレ』は敵艦に近づいていった。
 リシャールの目にも、帆柱を折られて不格好になった敵艦の姿が見えてくる。
「ふむ、帆柱が折れているので型式まではわかりませんが、小型のコルベットのようですな。
 油断さえしなければ、そう酷いことにはなりますまい。
 ……ビュシエール、俺は前檣楼で切り込みに備える。ルイ・アルベールはこっちにつきあえ。
 艦は頼んだぞ」
「了解!」
「指揮権預かります」
「……それから、陛下」
「はい?」
「どうぞ艦内へ」
 ……中途退場への不服はあるが、これも仕事の内なのだろう。
 首を伸ばし、指揮所での会話を聞いていたアーシャの鼻面を撫でる。
「そうだ、アーシャ」
「きゅい?」
「大丈夫だろうと思うけど、ビュシエール副長が頼んだら大声で吼えて」
「きゅ」
「というわけで副長、この子もお願いします」
「了解であります」
 リシャールは大人しく、貴賓室へと降りることにした。
 そう言えば、旗の色もアーシャに確かめて貰えば見つからずに奇襲できたかなと思いついたのは、貴賓室の扉が見えてきた頃だった。

 戦闘配置が下令されたこともあって、貴賓室にはアルビオン士官たちの他にも、ジャン・マルク、ジネットらセルフィーユの随員達も集められていた。避難所として使っているのは、前回の空賊戦以来の約束事である。ここは内装の分だけ、壁が分厚くなっているのだ。
「陛下!」
「出撃されたとお聞きしましたが……」
「ご無事でしたか!」
 狭いところに連絡士官が増えて予想以上の大人数、一斉に敬礼とお辞儀で迎えられて戸惑うが、落ち着いて見渡せば全員知った顔であるのは当たり前だった。
「敵はレコン・キスタ、小型艦一隻でしたので、あとは艦長が引き受けてくれました」
「レコン・キスタ!?」
「こんなところにまで……」
「歓迎が中途になってしまい、アルビオンの方々には失礼をしましたね」
「いえ、お気遣いありがとうございます。
 流石に戦闘中席に着いて食事というのは、度胸の上では大丈夫でも、セルフィーユの皆様に対して失礼に当たりますので……」
 立ち話になってしまったが、これは仕方がない。椅子も机も、壁際に寄せられて柱に縛り付けられていた。フネが揺れて机が飛んでくると、それだけで大惨事になってしまう。
 それほど緊張もなく雑談を交わしていると、半時間ほどして水兵が走り込んできた。艦長従卒のジュリアンだ。
「伝令! 発、艦長! 宛、貴賓室!
 『敵コルベットを拿捕、艦内は警戒待機に切り替え』、以上であります!」
 小さくどよめいた室内に、安堵の溜息が洩れる。
「ジュリアン、戦闘は?」
「はい、ありませんでした」
「帆柱を折っといたのが効いたかな……?」
「……だと、思います」
 敵艦の様子を見たのだろう、あれはやり過ぎじゃないかなと、彼の顔には書いてあった。

 護衛のジャン・マルクと、レコン・キスタと聞かされたウォーレン海尉を従えて甲板に上がれば、既に曳航の準備が始まっていた。リシャールたちが帆柱を二つとも折ってしまったので、そうするしかないのである。
「陛下、拿捕した艦はレコン・キスタ革命艦隊のコルベット『クライヴ』、乗員は艦長以下二十三名であります。
 全員、元々はアルビオン王立空軍所属のようで……敵艦長は捕虜として扱えと訴えておりますが、如何しましょう?」
「空賊扱いならば縛り首ですからね……」
 元王立海軍の士官なら、扱いをどうするべきか。いや、水兵でも問題になるかも知れないなと、頭を働かせる。
「ウォーレン海尉、彼らの扱いを貴官に一任してもいいですか?
 レコン・キスタは『叛乱軍』として規定されていますから、こちらで捕縛しても条約には抵触しないとは思いますが、元王立空軍の将兵ならば軍法も関連してきますので……。
 もちろん、監視の人手などはこちらからも融通します」
 対外戦争でもなく、アルビオンは当然ながらレコン・キスタを一国として扱っていないし、セルフィーユも同調している。拿捕したフネの扱いは決められていたが、叛乱前の取り決めであった。元軍人の扱いについては考慮すらされていない。
 ウォーレンはしばらく迷っていたが、重々しく口を開いた。
「陛下のお心遣いに感謝を。
 規定に従って士官捕虜とそれ以外を区別、取り調べの後に恭順か否かを問いたいと思います」
「了解です。
 艦長、協力を」
「はっ!」
 決まってしまえば、後は早い。
 深夜になる前に曳航作業を終えると、『ドラゴン・デュ・テーレ』は再び東へと舳先を向けた。




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