ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第四十七話「欺瞞」




 相変わらず寄り道が多かったのか、『ドラゴン・デュ・テーレ』二度目の支援航海は、帰着が月をまたいで最終月ウィンの月となってしまったが、またもやフネを従えての凱旋となった。
 今度は『クライヴ』より大きいスループで、一層ながら砲門を備えた中級のフネである。
 どうやらまた一隻、上手く捕まえたのかと思えば……残念なことに喜べたのはそこまでであった。よく見れば、スループには堂々とアルビオンの軍旗がたなびいている。
 お客ならこちらに案内されてくるだろうと待ちかまえていれば、執務室へと現れたラ・ラメーはアルビオン空軍の将官を伴っており、労いの言葉を拒否するように背筋をぴんと伸ばして報告した。
「陛下、ロンディニウムが陥ちました。
 幸い、ジェームズ陛下、ウェールズ殿下は落ち延びられてご無事であります……」
「……そうですか。
 詳しく、聞かせてください」
 同行の将官にも椅子を勧め、いつものように応接机を挟んで向かい合うとリシャールも表情を改めた。

 ロンディニウム攻略戦は一週間続いた最初の戦いの後、両軍が共に再編期に入ったが、戦線の膠着状態は長く続かなかった。
 レコン・キスタ側は、一週間とかけずに傷ついたフネを入れ替え新たな部隊を配置して、間髪入れずに進軍したのだ。
 対する王党派は地上部隊の再編こそ何とか終えたものの補充兵の当てはなく、修理待ちのフネが桟橋に溜まるばかりで、南部の防衛戦は激戦の末に突破されてしまったらしい。
 ジェームズ王は市民が戦いに巻き込まれることを良しとせず、ロンディニウムの放棄とハヴィランド宮の無血開城を決定、王党派の残存部隊は二度三度と順に陣地を下げて最後には王都手前五リーグに至る縦深陣を展開し、そこで死兵となって時を稼いだ。
 この貴重な数日間を使って、ハヴィランド宮では財貨から御物から資料から、あらゆる貴重品が運び出されては被害が軽微で足の速いフネに積み込まれ、ニューカッスルやスカボローに送り出された。

 最後の防衛戦は、熾烈を極めた。

 近衛騎士団は若輩者を選んで王族の警護に残し、戦場に出ると最後の一人まで戦い抜いた。
 竜騎士はサー・ランズウィックを総指揮官として幾度となく味方の窮地を救い、一頭また一頭と数を減らしつつも、第二竜騎士大隊を中核とするレコン・キスタの竜騎士隊をついに王都には行かせなかった。
 王立空軍のそれは、更に過酷だった。
 脱出に使える状態の良いフネは全てそちらに回し、小中破した二隻で一隻の大破した艦を戦場の手前に運び固定砲台として陣地を支援したのみならず、王国の危機に呼び戻されて現役復帰した前司令長官を筆頭に、レコン・キスタもかくやという勢いで火船攻撃からの白兵戦を展開し、一時は戦線を押し返した。
 しかし元より数の差は如何ともし難く、満足な修理も施されず状態の良い艦を脱出部隊に宛った防衛艦隊に出来たのはそこまでだった。
 防衛艦隊の旗艦『イリジスタブル』は最後まで防衛線の楯として奮戦した後、残存部隊の撤退時間を稼ぐため炎に包まれながらレコン・キスタの陣地へと突入し、大きな混乱を与えると共に王立空軍は屈せずと示した。
 正に死戦であったと、防衛線崩壊の報告をもたらした伝令は涙を流していたそうだ。
 王家の二人は長く乗艦としてきた『ヴィジラント』『ヴァリアント』の最後に瞑目して悼む暇さえなく、これだけは譲れぬと空軍が最後まで残しておいた完調状態のアンフィオン級フリゲート『イーグル』にて王都を脱出し、どうにか事なきを得た。
 後始末を引き受けてハヴィランド宮に残った王政府の代表は、使者を出してロンディニウムの降伏と政府組織の解体を叛乱軍に伝え、ほぼひと月に渡った王都攻防戦は幕を閉じた。
 ラ・ラメーも王族二人の無事こそ確認したが、現状では王党派の再起は難しく、終焉は時間の問題と言えた。しかしながら士気は旺盛で、通商破壊に回していた艦や修理を完了してラ・ロシェールから戻ってきたロサイス脱出組と合わせ、反抗を企図していると言う……。

「現在はお二方共に、スカボローへと入られております。
 またロンディニウムも陥落こそ致しましたが、降伏を良しとしなかった部隊もスカボローに陸路落ち延びて集まりつつあります」
「……そのご無事が分かっただけでもよしとしましょうか」
 わかってはいても、やりきれない気分というものは出てしまう。
 つい先日まで、リシャールはロンディニウムにいたのだ。
「それから同行のスループ『コリングウッド』は荷役を終了次第、ヴィンドボナ、リュティス、トリスタニアを順に巡り、援軍を求めるそうであります。
 その御用にて、こちらの急使殿はセルフィーユをご訪問されております」
 丁寧に差し出された公文書らしい書類を受け取り、文字を追いながら考える。
「……失礼、急使殿」
「はい、陛下?」
「貴殿はトリステインも含め、大国より援軍が出ぬ事はご存じですか?」
「はい、そのように伺っております」
 将官はしっかりと頷いた。欺瞞のための使者でありながら、同時に未来への布石という自覚はあるのだろう、表情は晴れやかですらある。
「うちはどうするかな……」
「は?
 ……陛下、我が国はロサイスの叛乱以来、貴族派に対して喧嘩を売っているも同然ですが……援軍の要請にはお応えなされないのですか?
 隠したところで、意味はありませんぞ?」
「それはそうなんですが、対レコン・キスタ戦を戦い抜く上で、どちらの方が得かなあと……」
 何を今更と首を傾げるラ・ラメーに補足する。支援は約束されていながらも、断られることこそが予定であった将官の方は、リシャールが迷っていることで逆に驚いた様子であった。
「表向き、現在の我が国は戦時下にありませんし、需品を集めるのに都合もいいんですよ。
 受諾することで市場から戦時と見なされ、物価の高騰や流通の滞りを引き起こしては、行動に支障が出ます。
 ですが受諾すればより旗色が明確になりますから、その後の立ち位置の強化が図れるのも間違いなくて……」
「失礼いたしました。
 そう言った理由でありましたら、陛下がご判断を保留とされていること、小官にも納得できます」
 徴兵などは端からする気もなく、今のところはレコン・キスタの使者が来たときの嫌味ぐらいにしかならないが、セルフィーユは正式な要請と受諾は通さず支援を行い、書類上は双方有耶無耶にしておくのも選択肢としては悪くないのだ。小国なりの身軽さにも繋がる。
 しかしロンディニウムが陥落したことで、早期に旗色を明確にしておく事も必要であった。密約とも言える敗残兵の受け皿として考えれば、彼らが各地に散る前に一声上げておかないと再び集めるのにも苦労する。
「実際にやることは、何一つ変わりません。需品輸送は続けて貰いますし、途中でレコン・キスタのフネを襲うのもこれまで通りです。
 ですが援軍要請については受諾と拒否、どちらがより効果的か、後で宰相やエルバート殿とも話し合ってみます。
 急使殿はこの後ヴィンドボナへ向かわれるのですか?」
「いえ、先にトリスタニアへ向かうよう命ぜられております」
 『コリングウッド』が近いはずのトリスタニアに立ち寄らなかったのは、一筆書きで航路を描けるからと言うよりも、外交上の都合というものも含まれているのだろう。一番最後に回すことで、トリステインは各国の反応を見てから態度を決めることもできる。状況の変化もないとは言えず、他国が新たな理由を振りかざして迷いなく援軍を出すこともありえるのだ。
 一旦、大使館に向かうという急使に案内の小者を着けて送り出すと、リシャールは改めてラ・ラメーに向き直った。
「しかし……今になって援軍要請ですか?」
「はい、形だけでも使者を出しておかねばトリステインも便乗しにくかろうと、ジェームズ陛下は苦笑しておられました」
「そう言うことですか……」
 援軍を断られるのは予定の内でも、型式として調えておけばトリステインも後々やりやすかろうと言うわけである。わざわざ王都が陥ちてから出すあたり、痛烈な皮肉を込めているのかも知れないが、老王の心の内は読めなかった。
「陛下、今回も再び需品買い入れの代金とやらを受け取って参りました。
 同時に貴族院の系譜資料や、王政府が『燃やせなかった』公文書などもお預かりしております」
 戦いには直接寄与しないそれらの資料だが、テューダー家復活のその時まで預かってくれと言われているようで、自然と溜息が零れる。先日の海図と言い、そのうち城が資料庫になるかもしれない。
「また、親族を頼って脱出してきたご婦人やご令嬢、年若いご子息もラ・ロシェールまで便乗していただきました」
「ああ、そちらも気にした方がいいのか……」
 貴族同士のつき合いという意味ではアルビオンとセルフィーユでは浅すぎるが、トリステインなどはそれこそ多くの親族知人が居ても不思議ではない。戦乱を避けて家族を逃がす意味には、その安全を確保すると同時に血を残す意味もあった。
「艦長、今年中にもう一便、お願いできますか?」
「了解であります」
 叛乱……いや戦争中でなければスカボローなら往復一週間と少しだが、戦闘はなくとも、主要航路の回避で倍の日数は見ておくべきだった。

 前回と同じく、二日ほどの休憩で『ドラゴン・デュ・テーレ』は再びセルフィーユを背にアルビオンへと舳先を向けた。
 同日リシャールはセルフィーユ中に布告を発し、同盟国として『アルビオン王国』への支援を正式に公表している。アルビオンからの資金援助にて少々の経済的混乱は乗り切れると踏み、叛乱終結後の優位獲得に狙いを定めたのだ。
 負ければ終わりなのだから、賭札はレコン・キスタ敗北への一点張りである。掛け率は今更気にしても仕方がない。いっそ天井知らずに上がってもいいほどだ。
 王政府は工務府を拡充し、ラ・クラルテ商会下にある工務部を丸抱えしてアリアンス廃城の整備に力を入れている。無論、年明けに迫った徴税の準備にも忙しい。
 軍需物資の買い入れはラ・クラルテ商会が主導しているが、マルグリットが一計を案じてギルドにも一口噛ませていた。お陰でアルビオン特需ともいうべき好景気が、セルフィーユ全体を潤している。王政府と軍の年間予算に匹敵する金額が短期間にばらまかれたのだから、一時的にせよその効果たるや絶大であった。
 空海軍は順調に拡大を続け……とは言ってもようやく『ドラゴン・デュ・テーレ』一隻の定員に足りたところだが、『サルセル』を正面戦力として数えられるようになったし、陸軍も将兵を充当して欠員を埋めた。フレンツヒェンの講義を受けていた十数名は、既に任地へと赴いている。
 月末まではリシャールも内向きへと力を入れ、好景気を隠れ蓑にした戦時体制への移行を静かに主導していった。
 クレメンテ大司教からも協力が申し出られていたが、そこにはあらゆる意味が含まれている。ロマリアとの対決ではなくとも、セルフィーユの滅亡は彼らにとっても安住の地を台無しにする重大な関心事であった。

 無論、セルフィーユだけでなく、その間には世間も動きつつある。
 年の瀬も押し迫った頃、リシャールは執務室にトリステイン大使モントルイユ男爵を迎え入れていた。
 男爵はつい先日着任たばかりで、大使を命ぜられると同時に一代男爵として叙爵されたばかりの外交官吏であった。彼はラ・ゲール外務卿配下の中堅外務官僚であり、リシャールの見るところ政治色は今ひとつ薄い様子である。強いて言えば、有能ながら下手にセルフィーユへと影響を与えない中道の人材で、トリステインの外務府が正常に機能している証左とも言えるだろうか。
 ……もっとも、人選についてはリシャールの知らぬところで『色眼鏡なしにセルフィーユを観察できる者が望ましい』とマザリーニ直々に一筆が入れられており、当初候補にあがっていた宰相府または財務府の官僚ではなく、純粋に外務畑を歩んできた官僚から選ばれていた。
「義勇軍?」
「はい、アルビオンより援軍の要請を受けた我が国では、この度、本格的な援軍を送るまでの繋ぎと致しまして、義勇軍への個人参加を認めると公布されました。
 援軍要請受諾の可否は、現在協議中であります。
 しかしながらアルビオンは先王陛下の生国でもあり、親族知人があちらに住む者も多く……」
 援軍不用とのジェームズ王の希望は表に出ていないはずで、ある意味止めようもない。
 トリステイン貴族が自主的に義勇軍を送ろうとすることは、十分理解できた。いや、本来ならば心情的にも政治的にも、援軍は直ぐさま出すべきであった。しかし軍を支えるはずの国力が弱体化し、既にロンディニウムが陥ちた今、間に合わぬと判断を下すことも間違ってはいない。それ故に、かえって混乱を引き起こしたとも言える。
 それにマザリーニならば会議の紛糾こそをよしとして、援軍派遣の可否を長引かせる理由にしそうだなとも思えた。ただで転んでも起きぬ事に掛けては、老練な政治家などという者はリシャールの数倍上を行っても不思議ではない。
「義勇軍の規模は、どの程度ですか?」
「息巻いた数名は家臣を率いて既に渡っているそうですが、極端に大きな規模には成らぬだろうと聞いております。
 もうすぐ降臨祭の休暇も始まりますし、しばらくは状況の推移を見守ることになりましょう」
 意外に少ない……というよりも、時機を逸したと見ている冷静な者の方が多いのだろうか。
「そうですね。
 ああ、セルフィーユは先日お渡しした報告書の予定通りで、物資の集積も順調です。フネが帰ってこないことには、次の一つもできませんが……。
 また何か、状況に変化が起きたときには知らせていただけるとありがたく思います」
 トリステイン以外も援軍への返事は灰色で、これは予定通りかとモントルイユ大使を見送り、リシャールは手つかずの書類束の山に手を着け始めた。

「ただいまー!」
「ただいま」
 年末があと数日まで近づくと、タバサとキュルケが帰省してきた。迎えを出そうにも『ドラゴン・デュ・テーレ』はまだ戻っておらず、王都からは『カドー・ジェネルー』に乗っての帰国である。
 城に戻るより先に寄ってくれたらしく、彼女たちは制服のままであった。
「空港に新しいフネが増えてたわね?」
「セルフィーユの旗だった」
「貰い物、かな?」
 『里帰り』早々に戦争の話も何だかなあと、リシャールはとぼけて見せた。

 結局、手に入れた商船『マリオン・クレイトン』は一度ゲルマニアと往復させたが、今は空海軍と王政府の工務部がアリアンス島へ資材や工事夫を運ぶ往復便に使っていた。状況が落ち着かぬ今、トリスタニアと結ぶ便は少しでも足が早い方がよいと判断されたのである。
 大きい方の商船『サウスオール・スター』はやはり一度だけガリアの帝都リュティスへの買い付けに使われた後、アリアンスの桟橋で保管艦とされていた。積極的に使いたいところだが今はまだ船乗りが足りない。物資は『ドラゴン・デュ・テーレ』のアルビオン行きで言えば数回分に当たる量が既に備蓄されていた。
 コルベット『クライヴ』はラ・ロシェールに加えてゲルマニアのハーフェンをもセルフィーユと定期便の如く結び、新たに集められた船乗りをこちらに運んでいる。お陰で年末までに空海軍の水兵は四百人と前年同時期の三倍を数えたが、足りない大砲を互いにやりくりしてもまだ砲員が定数を満たせないフリゲート三隻に中小型と中型の商船各一隻、おまけで小型のコルベットを完全稼働させるには、実はまだ不足気味である。
 アルビオン『から』の支援……援助資金が潤沢な内にと戦力の充実を図ってはいるが、戦を警戒しているのはセルフィーユだけではない。傭兵と船乗りは、仕事に困らない状況となりつつあった。

「リシャールはいつもより忙しいのかしら?」
 書類束の箱を指差すキュルケに、はははと苦笑して応じる。
「年末はこんなものだよ。徴税が控えてるからね。
 ……ああ、キュルケが家出してきたのは年明けだったっけ?」
「そうよ。
 ……っと、タバサは早くお母様に会いたいわよね?」
「クリスティーヌ様は今日かしら明日かしらって、楽しみにしておられたよ」
「ん、すぐ帰る。
 リシャールも頑張って」
「ありがとう」
 アーシャに頼んで彼女たちを送り出すと、やれやれと溜息をつく。
 間違ってもこの戦乱に巻き込みたくはないが、逃がせば済むという問題でもなかった。関わりで言えば、それこそ彼女らはガリアの王姪とゲルマニアでも指折りの有力諸侯の娘であり、レコン・キスタへの牽制にも自然と繋がってしまうのだ。
 もっとも、現時点でさえ国力差から言えば数百倍のレコン・キスタとセルフィーユ、無視をされるのが落ちだろう。相手の見込みで扱いが変わるとしか言い様がない。
 トリステインの降伏後、クルデンホルフとともにおまけで使者が送られるなら随分ましな扱いだ。少なくとも、存在が認識されていると判断できる。物資の支援もそうだが、短期間に数隻のフネを拿捕した戦果は一隻のフリゲートが成し遂げたものとしては立派でも、戦局全体を俯瞰すれば嫌がらせになっているのかどうかさえ怪しい。
 無力と知りつつあがき続けなければならず、なおも負債が溜まっていくような状況である。
 御前会議で大見得は切ったものの、本当に為すべきことはこれでよかったのかと自問自答を重ねるリシャールであった。

 しかし、走り始めてしまった馬車は止めることもできないし、止めればそこでおしまいである。
 降臨祭の休暇を楽しむ家族や女性陣を後目に、こちらはその短い休暇を最大限に使うことが要求されていた。
 慣例として休戦が約束されているその期間を利用して戻ってきたばかりの『ドラゴン・デュ・テーレ』を再度送り出すと、年が明けたその日の朝、自身は毎回金額が増すアルビオンの『支援』から三十六万エキュー分の小切手を懐に、アーシャで単身トリスタニアへと向かった。
 早速クルデンホルフが出した銀行が役に立っていたが、向こうも予想の外であったことだろう。手数料は高くついたものの、受け取った財産をセルフィーユ家の所有に切り替えておく必要があった。
 流石に年始の園遊会には参加しないが、一日早く到着して貰ったアルトワ伯に加えて祖父とギーヴァルシュ侯爵にも揃って貰い、ついでだと義父にも声を掛けている。
「本当に一人できよったのか?」
「ええ、お忍びですから」
 ジャン・マルクの説得には骨が折れたものの、先に近衛隊の数名が王都入りして迎えるという型式で勘弁して貰っていた。もっとも、その彼らも家人のお仕着せを着用しての移動であり、リシャールも略冠さえ携えていないし会合場所も祖父の家を借りている。
 一同が揃うと集まって貰った詫びを済ませ、リシャールは懐から小切手を取り出して机の上に示した。
「積もる話もありますが、先にこちらをお願いします。
 私の叙爵時、皆様にご無理を申し上げて用立ていただいた借財ですが、先に完済しておきたいと思いまして……」
「これは……この金額、お主、どうしたのじゃ!?」
「全額だと!?」
「もちろん、からくりはございます。
 今でなくてはならない理由も……」
 目を丸くしたり眉をひそめたりする祖父らに、現在アルビオンへの支援を行っているが内実は逆転していて資金援助を受けているに等しいこと、また王党派壊滅後に敗残兵の受け皿としてセルフィーユが機能する予定で準備を進めていることなどを説明する。
「なるほど、これはその資金の一部という訳だな」
「はい。
 無論、私的な流用というわけでもなく……レコン・キスタがアルビオンを平定した後、トリステインが狙われるのは確定的だと私は判断しているのですが、その際、諸侯に軍役が課せられることは間違いないと思います。
 ですが、その一大事に皆様方の余力をセルフィーユが奪ってしまったとあっては、それこそ皆様やアンリエッタ殿下に顔向け出来ません。
 また王党派への支援を理由として先にセルフィーユが狙われる可能性も……低いながら完全には否定できませんので、余力と時間のある内に、セルフィーユ家としては後顧の憂いを断ちきっておきたいのです」
 トリステインともどもセルフィーユが滅んだ後に、借財を踏み倒した王家と言われたくはないのです……とは口にしなかった。
「……ふむ、お主の言い様ももっともだが、国として考えた場合、トリステインよりもセルフィーユの方が危なく思える。
 返済はこれまで通り小分けにして、お主の方こそ余力を持つべきなのではないか?」
「はい、しかしうちの国力では使い切れないと判断いたしました。
 人口四千の国がアルビオンの半分以上を相手に正面から殴りかかるのは無理な話と考えて、当初より支援に的を絞っております。
 ですが資金を活かそうと人を集めるにしても、セルフィーユでは苦しいところでありまして……。
 軍需物資を買い込み続けてここぞと言うときにトリステインへの支援に使おうかとも考えましたが、トリステイン王政府からもセルフィーユと同じく準備期間を有効に使うとお聞きしておりますので意味が薄れます」
 資金は『ドラゴン・デュ・テーレ』が戻るたびに勢いよく流入しているが、一度に送れる物資には限りがある為浮いてしまっていた。この状況、死に金は作るべきではない。無償で配るわけにもいくまいが、余力の少ないトリステインへのささやかな援助になればよし、こちらも一つ肩の荷が降ろせる。
「しかしリシャール、敗残兵の受け皿ともなれば、国にも相応の体力が要求されるぞ。
 その資金は十分なのか?」
「ですな。
 レコン・キスタもすぐには攻めて来ぬだろうし、休戦期を……そうだな、三年と見積もって年十二万、維持だけならば一千人の将兵を養える計算になるか?」
「うむ。
 実際はもう少し短かいじゃろうが、そのあたりじゃのう」
 ちなみにアルビオン平定後に来る休戦期間は、フレンツヒェンなどは一年半、マザリーニなどは一年少々と見積もっている。
「いえ、アルビオンからは、それ以上に支援を貰っておりますので……。
 それにこちらでは、敗残兵は千も来ることはないと見ております」
「理由は?」
「はい、ギーヴァルシュ侯爵様。
 うちの家臣らにも検討させたのですが、この局面に及んでなお頑強な抵抗を続けている王党派です。
 ロンディニウムの戦いで脱落する者は既に去り、従う者は己の忠誠心のみを報酬として動いているような状況だと聞きました」
「ふむ……」
「……そうか」
 王党派は王党派『残党』と呼び変えても、当事者以外からは文句が出ない規模となっていた。
 ラ・ラメーから伝え聞いたところでは、艦艇の総数は二十近いもののまともな状態のフネは少なく、稼働する戦列艦など僅か五隻、既に正面決戦には投入すべくもないという。
「それら事情を踏まえた上で……皆様方にお願いがございます」
「うむ?」
「まず、借財を完済した事は内密に願いたいのです。
 その上で、アルビオンから当家への支援を隠蔽する意味で、新たに書類上だけでの借財を作り、苦しく見せたいと思うのですが……。
 公爵様、少々ご助力いただけませんでしょうか?」
「うむ。
 なんなら空の借財でなくてもよいぞ?」
「いえ、使い切れぬ財貨を持て余しておりますので……。
 こちらの方は、本当に書類上のやり取りのみに終始したいと思います」
「なるほどな、国の体力を詐称したいと?」
「はい。
 相当な無理をしてるんだという姿勢を、内外に印象づけられればと考えました」
 王党派の残りが小国に集まったとて、食わせるのが精一杯と相手に思って貰えればしめたものだ。まさか家賃先払いとは向こうも考えまい。
「そのぐらいならば、喜んで協力させて貰おう。
 どの程度の金額を記入とする?
 欺瞞であれば、それなりに説得力のある金額の方がよいと思うが……」
「では……小出し小出しでお願いしたいのですが、最終的にはセルフィーユが背負いきれるかどうか微妙な金額にしたいと思いますので、とりあえず十五万ほどお願いします」
 ラ・ヴァリエール家筆頭執事のジェローム氏が直ぐさま呼ばれ、十五万エキューの借財について覚書と領収証が作られた。これにてほんの一瞬だけだが実際に借金が存在したことになるのだ。あとはアルビオンから預かった資金を適宜消費しつつ資金繰りに難ありと噂を漏らし、例えば戦後にでもゆっくりと表に出せばよい。クルデンホルフ系列の銀行は、口の堅さに定評がある。
 ……『その程度の額』なら銀行に行かずとも家にあるとのことで、偽装のために小切手が切られたりはしなかった。




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