ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第三十九話「老王」




 アルビオン王国は王都ロンディニウム、その中枢ハヴィランド宮の内奥。
 リシャールは、ジェームズ一世と向かい合っていた。
「さて、切り出した朕が迷うのもおかしなものだが、何から話したものか……。
 そうじゃ、リシャール王に兄弟はおるのかな?」
「兄が二人で、私は末息子にございます」
「ほう、朕と同じく三兄弟か。
 朕にもかつて、弟が二人居ってな……」
 何かを思い出すように、老王は懐かしげな笑顔であった。
 リシャールもアルビオン王弟の一人は、名前まで知っていた。
 マリアンヌ王后の夫にしてアンリエッタ王太女の父親、先のトリステイン王アンリ四世はジェームズ王の実弟である。王子時代はヘンリー・オブ・カンバーランドと名乗っていたが、入り婿してトリステイン王位を継いだのだ。
 だが、もう一人は……。
「もう二十数年は前になろうか、朕がアルビオン王位を継いだ前後、上の弟ヘンリーはトリステインのマリアンヌ姫の夫としてトリステインの王となった。
 下の弟エドワードはモード大公として、朕の片腕として王政を支えてくれておったな」
 そのモード大公は、リシャールの記憶が正しければ数年前に叛乱未遂の罪で逮捕処刑されていたはずだ。前後して……タバサの父親が殺されたガリア王弟暗殺事件もあり、両者共に『王弟』であったことからよく覚えている。
 ごくりと唾を飲んだリシャールに、老王は小さく頷いた。
「ヘンリーは病に倒れたが……エドワードは刑死じゃ。
 リシャール王も知るように、その処刑は朕が自ら命じた。
 無論、感慨はあれど後悔はしておらぬ」
 リシャールは兄を処刑しようなどと考えたことすらないが、叛乱ともなればまた話が違ってくることは理解できる。単なる兄弟喧嘩では、国が二つに割れることもない。しかし、両者に支持者が着いて力で相手をねじ伏せようとすれば、内乱……つまりは戦争となる。

 ガリアも『無能王』ジョゼフの即位前は『天才』シャルル王子への支持が強く、国が割れる可能性もあったという。その後シャルル王子は暗殺されたが、未だに王弟派は完全消滅したとは言い難いらしい。
 こちらは他人事ではなく、リシャールは王弟派の旗印とも言うべきオルレアン大公家を自家の後ろ盾に据えられ、同時に一定範囲の責任を負っていた。
 『諸君らの活動についてはガリアヘの内政干渉どころか外患誘致に繋がりかねない故に一切口を挟まぬが、シャルロット殿下についてはクリスティーヌ夫人とご本人よりの了承を得て留学中は後見人を引き受けさせていただいている。今は学業と心身の成長のみに心を砕いていただきたいので、ご卒業までは殿下のご身辺を騒がせることのないようにして貰いたい』……という苦しい言い訳は用意していたが、幸いにして、未だに王弟派であることを明かしてリシャールの元を直接訪ねてきた者は居なかった。

 ……しかしだ。
 人が死に国力を削がれる悪況へと至る前に、その芽を摘み取ることは果たして正しいか否か?
 国を背負うとは、その国に生きる人々全てを背負うことと、ジェームズ王は言いたいのだろうか?
 ジェームズ王はその状況に遭遇し、既に決断を下したわけだが、同じ事が出来るのかと問いを突きつけられているのか?
 迷いもあれば、混乱もある。
 その時自分は……。

 嫌な未来図だが、叛乱だけではなく、国が武力で攻められたときにも似たような決断を下すことになるかもしれない。
 ……いや、今でさえ一つ間違えれば、家族だけでなく国の民皆が路頭に迷うのだ。直接的な生死を命じたわけではなくとも、常に心せよと言うことを老王は伝えたいのかもしれない。

「しかし……。
 エドワードは叛乱など、それこそ小指の先一つほども考えておらんかったであろうな」
「えっ!?」
 それまでの考えを吹き飛ばす老王の言葉に、どうも雲行きの怪しい話になっているなとリシャールは身構えた。
 王弟の刑死に表向き裏向きなど……いや、それこそ数千年もの歴史を誇る大国の一角、ないはずはないと見た方がよいのだろうか。
「あ奴のそれは、反抗と言い換えた方が良いやもしれぬが……エドワードはな、エルフと通じておったのだ」
「……!!」
「エルフを妾にして愛し、子まで作り……殺す事が出来ぬなら追放せよとの再三の説得は、全て無駄に終わった。
 しかもあ奴は獄に下ったが、妾は忠義厚き部下共々命を賭して娘を守りきり、どこぞに逃がしておる。
 朕はあ奴を叛乱の首謀者とするしかなかったのだ。
 ……ふむ、この様な醜聞、余人には聞かせられぬかのう?」
「……」
 いま正にその醜聞とやらを聞かされているのだが、茶化すような場面ではなかった。
 試されているのも間違いないのだろうが、それにしては他国の王どころか誰に聞かせてよい話でもない。リシャールは困り果てた。
 ……大国の指導者でリシャールに無理な話を振っていないのは、まともな会合を持たなかった故のゲルマニアのアルブレヒト三世だけになってしまったが、彼の場合はリシャールと正式に相対すれば先に跪かねばならないという枷がある。お互いのためにも正面から語り合うことなどなきよう、願いたいところだった。
「リシャール王は得心が行かぬと見えるな。
 理不尽だと思うかの?」
「……わかりません」
「……そうであろうな」
 弟の死を口にして動じる様子もなく、ジェームズはふっと小さく息を吐いた。
「ただ……」
「ふむ?」
「陛下も……そして、エドワード殿下も、命懸けでそれぞれの決断を下されたことだけは間違いないと……」
「……そうだな。
 あ奴はあ奴で、その身命を賭したのであったな」

 老王の言葉には淡々とした事実が短く並んでいただけだったが、リシャールにも分かることがあった。
 ジェームズ王はその醜聞が王家を、国を傾けると王弟エドワードに死を命じたのであろうし、見逃してやればよいものをと簡単に口にすることなど出来ない。それこそエルフが理由であれば聖戦の矛先が自国に向かう口実に成りかねず、知られたところで処断したと言い訳も立つ。老王は弟一家と国を天秤に掛け、決断を下したのだ。
 また王弟エドワードとエルフの愛妾、そして彼の忠臣は、それぞれに全てをなげうって娘を守っている。王命に逆らうことの意味を、王の弟やその取り巻きが知らぬはずもないだろう。それでも彼らは……決断を下したのだ。
 同時にこの事件は、リシャールが聞いても良い、もしくは知られても良い過去の出来事であることも気付く。エドワードは既に処刑されており、エルフとの間に出来た子は逃亡……つまりは、当初ジェームズ王が要求した一家追放と同じ状態になっていた。
 セルフィーユの新教徒問題と同様、軽々しく口に出来るような話ではないが、先に知らしめることで次代のウェールズが困らぬようリシャールに釘を刺したとも言えるし、さてお主ならどう断じたかと意地の悪い問いかけをされているようにも思える。
 ……あるいは同格と言うには遙かに小物でも同じ国王であるリシャールに、老王が死期の近きを感じて懺悔室に於ける聖職者のようなものを望んでいたのかもしれないと考えるのは、穿ちすぎであろうか。
 しかし、だ。
 カトレアとマリーの為なら、ジェームズ王の立場であれば親族の討伐を命じるかもしれないし、王弟エドワードのように世界を敵に回すなど何ほどのことと抵抗も辞さないかもしれない。そして全てが終わってから、人知れず後悔するのだ。
 感情でも理性でも、割り切れる筈もない得体の知れぬモノは、確かに実在するように思えたリシャールであった。

「ふむ、年寄りのたわ言など、右から左に聞き流すぐらいで丁度良いということを教授したかったのだがな。
 根を詰めすぎた王や諸侯など、すぐに潰れてしまうと昔から決まっておるのだ。
 リシャール王も常に軽やかであられよ……」
 ジェームズ王は韜晦に満ちた言葉で話を締めくくり、疲れたので少し眠ると侍従に付き添われて部屋を去った。
 
「父上はお疲れの様子だったが……リシャール、君までか!?」
 部屋に残されたリシャールが、やはりその場に残された言葉の重みと共に考え込んでいると、ウェールズが現れた。
「……せっかく陛下御自らに帝王学の一端を講義していただいたのに、落第点を貰ってしまったかもしれないと落ち込んでいたところだよ」
「ふむ?」
「王となってひと月だからと、甘えていられないことだけは心に刻んだ。
 ……それでさえもまだ甘いと思えるのが、始末に負えない」
「少々憚るが……酷いことでも言われたのか?」
「あー……聞く方もつらいが話す方も苦痛、だが少なくとも目を背けてはいけない、真摯に受け止めておかねばならない、そういった真面目なお話をしてくださったんだ。
 王様というものは、黒い鎧を着た野盗に追われた状況下、峠の分かれ道にて赤い鎧の山賊と青い鎧の山賊が出るそれぞれの道どちらを進むのか、即断を強いられているようなものだとも仰っていたよ。
 ……早く君に追いつきたいところだな」
「私かい!?」
「ウェールズ、君は別の見方をすればジェームズ陛下の一番弟子だろう?」
 よろしく先輩と、リシャールは苦笑しながら肩をすくめて見せた。
 心身共に疲れ切っていたいまは、それが精一杯の虚勢なのだ。

 その日は小夜会、翌日はトリステインで行ったような書類を山積みにした条約の締結式に追われ、一息をつけたのはその翌日であった。セルフィーユ側からの提案で、既に空賊の相互討伐と報奨金や私掠税の扱いも盛り込まれている。
「かしらあ、右!」
 閲兵式はもっともらしい顔で笑顔と敬礼を向けていればよく、移動の最中は仮眠の出来るロンディニウム近郊の練兵場で行われたセルフィーユ製マスケット銃を装備した連隊への表敬訪問……とは言ってもこちらも予定の内であった。
「陛下、準備が整いました」
「移動しましょう」
 隣接する演習場では、セルフィーユ側から持ち込まれた散弾砲の地上試射が披露されることになっていた。

 案内された演習場は、当然ながらセルフィーユのそれよりもずっと広い。
 リシャールは待たせていたアーシャに飛び乗った。
 上空で幾度か旋回して、地上の準備が整うのを待つ。
「アーシャ、合図があったらこの間みたいに斜め上から突っ込んで。
 それと、今日は『震える息』禁止でおねがいだよ?」
「……。
 わかった」
 簡易指揮所で大きく旗が振られ、それを合図にリシャールとアーシャは砲陣地へと突っ込んだ。
 火竜の吐く火炎代わりに、おもりを結んだ手ぬぐいを投げつける。
 陣地の方でも小さく白煙が上がったが、空砲ですらない。発火薬のみを装填して手順のみを示すように打ち合わせてあった。

 その後、地上にて的板を担いだゴーレムへの数度の実射を簡易指揮所で眺めていた王立空軍第一竜騎士大隊長サー・ランズウィックは、渋面を作っていた。反対に、ロンディニウム駐留艦隊の副司令官で先日リシャールらを案内してくれた老提督ティッタリントン少将は、ふむふむと頷いて隣の士官と散弾砲を指差しながら具体的な議論に入っている。
 ウェールズは双方を見比べて、どうしたものかと考える表情でリシャールの横に立っていた。
「かかる費用の割に厄介な代物と、ブレッティンガム男爵から知らされていましたな。
 対策はあるにしても、小砲の一門二門で好適な襲撃位置を封じることが可能ならば、効果大と言わざるを得ません」
「リシャール、私も以前に話だけは聞いていたが……エルバートにも見せたのかい?」
「時間があるときは、エルバート殿にも演習や会議に参加して貰っているよ。
 使用例がないから検証ですらないけど……彼も上後方が云々と頭を抱えていたかな」
「……でしょうな。
 砲門の並んだ舷側と同じく、今後は斜め上方よりの襲撃が禁じ手の一つになるやもしれませんな……」
「連発は不可、角度も一定、知っていれば避けられると、欠点は陛下よりお伺いした通りでありましょうが、甲板士官のメイジが専任で担っていた対竜任務を一部だけでも砲員に肩代わりさせられます」
 竜騎士が軍艦を襲撃する場合、従来の戦訓もあって砲門のずらりと並んだ側方は当然避ける。数十門もの大砲を擁する戦列艦やフリゲートでは、竜騎士が来るとわかっていれば、数門程度は通常の砲撃任務から外して竜避けに葡萄弾や散弾を装填して待機させておくことが常だった。
 だが、竜騎士にしても新たに斜め上へと向けて撃ってくる散弾があると知っていれば避ければいいのだけの話で、得意の一手こそ封じられてしまったが無力化されたわけではない。
 散弾砲は僅かながらフネ有利に天秤を傾けたが、現在のところはまだまだ竜の側に軍配が上がっていた。
「大口径化すれば威力や射程は増えないか?」
「うちにはフリゲートしかないから、試作もしていないよ。
 そっちは君に任せる。
 ……今でさえぎりぎりでね、後楼の板張り天井を前方に伸ばして、露天指揮所を大きく前にずらそうかなんていう話もでてるかな」
「戦列艦なら多少は余裕があるか……」
「上甲板の舷側にも配置できましょうな」
 細身のフリゲートに較べて倍近い船幅が確保されている戦列艦なら、船体そのものに余裕がある。『ドラゴン・デュ・テーレ』なら前後の檣楼に一門づつで精一杯、両舷に指向して配置するなら帆柱の間隔も考慮して斜交いに各一門、当然竜を搭載しないと言う制限も付いてしまう。
 ちなみにこの日午後に開かれた会議の席上でアルビオン側は散弾砲設計図と諸元表の購入を即決し、見本となる一門を含めて一万八千エキューがセルフィーユ側に支払われることになった。設計から試作、性能試験、幾度となく繰り返された演習までを考えれば随分と安いかも知れないが、パテントやロイヤリティーと言った概念のないハルケギニアに於いては破格の値がついたと言える。
 当初は独立に際してセルフィーユに、そして旧母国トリステインにも色々と気遣って貰ったせめてもの詫びにしようと無償での譲渡を考えていたのだが、アルビオンの方から札を切ってきたのでお任せすると丸投げしたのだ。こちらには散弾砲を量産する余裕はないし、予定外の大きな利益を産んだのだから感謝すれども文句はない。
 アルビオン側も艦隊再編と搭載兵器増産が急務のこの折、新兵器の開発に一から力を入れている余裕はなく、小さな投資と手間でそこそこの効果が見込めそうだと竜騎士隊と艦隊司令部の両者が頷いたことで即時の導入が決まった。一万八千エキューはセルフィーユには大金だが、単純な人口比で数百倍もの開きがあるアルビオンとの国力差を考慮すれば、リシャールが数十エキューの支出を裁可するのと同じ感覚なのかもしれない。
「砲耳と台座の形状は例の平射と曲射の両方が出来る新型砲と同じだから、応用はそちらでやって貰って構わないよ。
 担当者の話では、十二リーブル砲以上だと今の設計じゃ部品が壊れるらしくて、小口径砲が限度って話だった。
 受け止める部分が問題なんだ」
「なるほど、部品の強度を上げるとどうしても重くなるか……」
「その通り。
 少々重くなっても構わない城塞の砲台で使うならいいんだろうけど、ちょっとね」
 重量制限がほぼ無い定置用の大砲なら、もしかすると狙い撃つ型式の高射砲も作れなくはないかと思案する。……以前は船舶への搭載が前提で検討していたから、これは無理と却下されていた。

 予定の大半はこれで終了したわけだが、時には突発的な事態が発生することもある。
 帰国を控えた茶会の最中、ジェームズ王から小さな要望が出された。
「時にリシャール王よ」
「はい、陛下?」
「料理人は連れてきておらぬのか?」
「申し訳ありません。
 随員は最小限で、フネの中では私もビスケットを齧っております」
「ふむ、常在戦場の心得としては正しくもあるか。
 ……いつぞやの園遊会で食べたあれらを、もう一度食べたかったのだがな」
「なるほど、あれでございますか。
 えー……ハヴィランド宮の厨房と人手をお借りするご許可が戴けますなら、夕餉に間に合うよう至急手配いたします」
「おお、それは嬉しいの」
 もちろん今すぐ料理人をセルフィーユから呼び寄せることなど不可能だが、そこはジェ−ムズ王もわかっていてとぼけているのだろう。当たり前のように厨房への出入りを許されたが、流石に王冠を頭に乗せて料理というわけにもいくまい。
 それでも、せっかくのご所望である。見事応えてセルフィーユの株を上げておくのも良いだろうと、リシャールは随員に準備を告げた。

 その足で宰相執務室にウェールズを訪ね、顛末と計画を話して協力を乞う。
 昼から予定されていた会議は、即座に延期が決定された。
「……父上の我が侭にも困ったものだ」
「いえ、殿下にもお手間を取らせましたことを、心よりお詫びいたします」
「仕草まで従者その物に成りきれるのだな、君は……」
「……そのあたりはご存じでしょうに」
 ウェールズに相談して表向き見張り、その実護衛の騎士を借りて、リシャールは従者のお仕着せに着替えた。見届け役と言う名のセルフィーユ側の責任者は、ジネットである。
 厨房に『実は彼こそセルフィーユ王だが、見て見ぬ振りをせよ』と言い含めて混乱させるよりは、『うちの陛下のご要望で、セルフィーユ王から借りた料理人がやってくる。くれぐれも失礼のないよう、また諸君らもよく学ぶよう心がけよ』とウェールズの一言で補って嘘で塗り固める方が幾らかましだった。
「ジネット様も、よろしくお願いしますね」
「はい、へ……ルイ様」
「あー……その、ジネット様。
 あなたは陛下の『女官』でいらっしゃるのですから、せめてルイ『さん』ぐらいで留めておかれないと」
「は、はあ……」
 セルフィーユ王の外遊随員『料理番ルイ』と表看板を書き換えたリシャールは、騎士に案内されて厨房へと向かった。

 挨拶もそこそこに司厨長と顔を突き合わせ、今夕の仕込み前に試食を兼ねて予定の料理を振る舞う。
 流石に王宮の大厨房は、食材も最高級の物がたっぷりと用意されていた。生魚さえあるところを見ると、以前エルバートに紹介された商人は上手くやっているらしい。
「実は……旅行中は『陛下』の専属とは言っても、肉や魚の焼き加減さえ勉強中なんですよ。
 コルネーユ料理長やレジナルド氏にはまだまだ追いつけません」
 今回はばれていないなと、緊張の中にも多少の余裕を持ちながら、いつものように料理を仕上げていく。王へと直接配膳するのではなく、ハヴィランド宮の料理人に味と手順を覚えさせる方向で話をまとめたので気楽なところもある。
「その若さで一仕事任されるだけ大したものさ。
 ……レジナルドはどうだ?
 そっちで元気にやっているか?」
「ええ、もちろん。
 逆にお茶会の支度では、レジナルド氏が先生をされていますよ」
 しばらくは冷や汗をかいて直立不動になっていたジネットも、もうどうにでもなれと思っているのか、今は脚立にちょこんと腰掛けて試食の皿を手にしていた。
「……火通しはこのぐらいか。
 ルイ、味見」
「はい。
 ……大丈夫です。
 ただ、もしもジェームズ陛下が辛口をお好みの場合、香辛料を炒める時間をもう少し伸ばした方がよいかもしれません」
「よく知ってるな?」
「以前、ラグドリアン湖畔の園遊会の折に、少し……」
「ああ、一昨年トリステインをご訪問された時か。
 よし、なら次はそれを試そう」
 指南した料理も発想こそこちらでは奇異に映るだろうが、それほど手間の掛かるものではなかったので、二度三度で司厨長らも手順を覚えている。
 今日のところは時間が無くとも食材や調味料の組み合わせと基本の手順、これらが伝われば後はそれぞれが工夫をするだろう。

 だが……それら忙しい中にもどこかのんびりとしたやりとりは、急報に遮られてしまった。
 会食は十分に居心地もよかったし、面目も施されてリシャールも一息ついていたのだが……。
「陛下、至急お耳に入れたいことが……」
「うむ……?」
 騎士の耳打ち一つでジェームズ王からは凄まじい怒気が発せられ、リシャールはウェールズと顔を見合わせた。
「……陛下、私は席を外した方がよろしいですか?」
「いや、それには及ばぬ。
 ……ロサイスにて大規模な叛乱が発生したそうだ」
「何ですと!?」
「ロサイス……」
 リシャールはぽかんと口を開けて固まった。
 ロサイスはアルビオン王立空軍の要とも言うべき軍港であり、また、大陸各地への玄関口でもあった。数十隻に及ぶ戦列艦を擁する本国艦隊が駐留しており、にわかに信じられるものではない。
 セルフィーユで言えば、何の予告もなく城や王政府が叛乱を起こすようなものである。
「間違いはないのだな?」
「はっ!
 本日午前、司令部にて艦隊司令長官リッジウェイ大将が殺害され、その混乱に乗じて副司令官ウォルコット中将が『レコン・キスタ』の名で叛乱の檄を飛ばしたそうです。
 艦隊は混乱して統制は失われ、討伐しておるのか、同士討ちなのか、それすらも不明瞭な様子だと竜使は報告しております」
「……しばらく静かだと思えば、深いところに根を張っておったのか。
 ウェールズ」
「はい、陛下!」
「情報を集め、王都の防備を固め、討伐の準備を整えよ。
 朕の名の元、あらゆる手段を許可する」
「御意!」
 ウェールズが騎士を伴って走り去ると、ようやくジェームズはリシャールへと向き直った。
「恥ずべき処を見せてしまったかな?」
「……いいえ」
 即断したジェームズやウェールズに較べて未だ混乱から抜け切れていない自分に、今日から王様だと言われた時よりはましだろうと無理矢理はっぱをかけ、老王へと向けて姿勢を正す。
 小国の王でも王は王、それこそカトレアやマリー、セルフィーユの皆に恥ずべき態度は取れない。
「陛下、先日調印された条約の文言には、互いの要請があり次第援軍を供するとありますが……困りました」
「うむ?」
「アルビオンの要請がないのに勝手働きをするわけにもいかず、だからと現場におりながら何も助力せぬのはセルフィーユの恥、何か良い知恵はございませぬでしょうか?」
 ジェームズ王とリシャールでは格に違いが在りすぎる故に、このような言葉も通った。従者が主君に言上するのと大差ない。
 正面からしゃしゃり出てはアルビオンの横っ面に泥を塗りかねず、そちらの面子を立てつつセルフィーユに出来ることがあるならどうぞ仰って下さいと、遠回しに水を向けたのである。

 だがジェームズ王は、その言葉に別の意味を見出した。
 アルビオンは何も知らぬ他国の王を内乱に巻き込んだとあれば、体面に傷が付く。だが予め巻き込んであるなら……例えば急使の一つでも引き受けていたなら、どうだろうか? わざわざリシャールが自ら一戦を交える必要はないが、叛乱軍から積極的に狙われる理由があるなら、万が一戦闘になってもアルビオンは致命的な泥を被らずに済む。
 セルフィーユは予定通りの帰国でも、戦に恐れをなして王が逃げたと見えれば評判は下を向くだろう。しかしアルビオンを利する何らかの理由があれば、そちらを表に堂々と帰国の途につける。
 結果に違いはなく提案をしたリシャールへの評価も上を向いたが、それこそ数十年を国王として過ごしてきた故の誤解であった。

「リシャール王のお言葉に感謝いたす。
 ……ウェールズに一切を任せたのでな、あれに尋ねてもらいたい」
「畏まりました。
 陛下のお心遣いに感謝いたします」
 リシャールは老王に退出の礼をして、足早にウェールズの元へと向かった。





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